2018年5月、エスクード誕生30周年イベントに参加されたMaroさんは、その日を機にTD51Wの退役を決めていた。
 はずだった。
 その決意を覆すこととなったのは、奥方の延命に対する理解と決意だった。 かくして懐かしいスキューバブルーのエスクードと再会する。
 

 Maroさんにはかつて、北米暮らしの時代があり、その当時はインターネットを通じて、僕が乗っていた先代らすかるの記録を見続けてくれていた。
 2005年に先代らすかるが全損し、BLUEらすかるへのスイッチを果たす展開が、彼の中で幾ばくかの感銘をもたらしたという。
 当時、彼のお父さんもカナダ在住で、二代目エスクードにお乗りだったことも関係しており、Maroさんは帰国後すぐに1600ノマドを手に入れ、これを2000のヘリーハンセン・リミテッドへとスイッチしている。
 ここまでの彼の履歴は、僕は全く知らない。
 フジ・オートの渡辺代表がヘリーハンセン・リミテッドを彼に販売した折、なぜエスクードなのかをMaroさんは説明している。そのバックボーンに、二代にわたるらすかるの存在が影響しているのだという。
 渡辺代表からそのことを伺い、Maroさんとの交流が始まったのが、エスクード誕生20周年企画の頃のことだった。
 それから10年、彼のヘリーハンセン・リミテッドも330000キロを走り、航続距離では一度の給油で850キロという驚異的な数字を刻みながらも、クーラント漏れや各部の劣化によって、これ以上の維持経費を無視できなくなり、退役を覚悟したのだそうだ。


 鉾田市の喫茶店「CUP OF JOE」で1年ぶりの再会。
 耳にした直4エンジンの音は快調に回っている。
 「昨年のイベント帰りに、家内が車検を通してエンジンの悪いところを直そうと言ってくれたんです」
 Maroさんは、はにかみながら言った。
 「どうも僕は、あの日の帰り道、この世の終わりのようなひどい顔をしていたらしいんですよ」
 「それを見ていたら、もう、仕方ないわねって言ってあげるしかなくて」
 ご夫妻はそんな話をしてくれた。
 1600ノマドからなぜヘリーハンセン・リミテッドに乗り換えたのか。僕のエスクードと見比べていただければお分かりになると思う。さらにはこのスキューバブルーメタリックは、先代らすかるの車体色なのだ。そして僕自身も、最初のエスクードがヘリーハンセン・リミテッドだった。
 そのエスクードを、一度は退役させる決意をするのは、並々ならぬ思いだっただろう。再整備し車検を通したことで、維持に関する負担も軽くはない。
 他人事と思うわけにはいかない。
 5月の海辺は湿度も低く、穏やかな波。実はこの週末以降、これほどの天候はこの海岸線では見ることができていない。梅雨が明けてしまえばシーズンオフまで、こんなに静かな海ではなくなる。
 ヘリーハンセン・リミテッドは、ノルウェーのマリンスポーツブランドによるコーディネート。そのエスクードにふさわしい景色を案内することができた。