福井県永平寺町にある吉祥山永平寺は、我が家の菩提寺の総本山にあたる。
 親父の四十九日法要の直後、どうしたことか祖父が夢枕に現れ、「寺へ行け」と耳打ちしたのである。「地球へ・・・」の寝ぼけ間違いではない。
 ありがたいんだか怖いんだかよくわからん気分で、急遽、真西へ向かうこととなった。


 思い出してみれば、三十年前、祖父が亡くなったあと数年して、親父から「瓦の寄進に行ってくれ」と言われ、ここを初めて訪ねていた。
 当時は鉄道とレンタカーの移動だった。というくらい、福井って遠いのだ。が、あれから何台かのエスクードを乗り継ぎ、片道600キロなんてどうってことのない特異体質になっていた。
 初夏、早朝の永平寺は新緑に包まれた伽藍に心地よい風が吹いている。けれども三十年もすると建物がやたらと増えており、拝観ルートも伸びている。早朝なので参拝客もほとんどいないのを良いことに、堂内で畳の上に寝そべるなど罰当たりなことをしつつ、親父の供養として瓦を寄進し、ここまで来たら「恐竜博物館」だろうと勝山まで足を運んだが、コロナ禍対策でネット予約をしていないと入館できず。さっそく罰が当たった。

 
 北陸道を新潟県へ戻る途中、実は「富山県にだけ出かけたことがない」というのを思い出し、何も考えずに富山西インターで降りてしまう。
 富山湾に行けば、立山・黒部連峰を湾越しに眺められるだろうと考えたのだが、そのためには石川県寄りの能登半島の付け根まで行かねばならなかった。付け焼刃に立ち寄った海水浴場では、連峰を眺められないことも無かったが、お話にならない景色。しかもだ、そっちへ行っていれば、巨大イカのオブジェもいろいろな意味で話題になっていたことを後で知るという体たらく。
 しかし糸魚川市で昼食という予定もあり、いたずらに迷走しているわけにもいかず、国道8号線からくっきりとそびえる連峰を眺めるにとどまる。
 いつかやり直してやる。


 あの「糸魚川大火」からずいぶんと経過した。
 蕎麦処泉家には昨年、再建された姿を見に行ったが昼食後で立ち寄れなかった。
 今回はその雪辱。往時の老舗の佇まいを可能な限り再現しようとした店内にほろりとする。
 店主がわざわざ出てきてくださり、ここまでのご苦労を話してくれた。献立も少し減っていたが、久しぶりの蕎麦をすすらせていただく。
 外出していたおかみさんが戻ってくるなり、「ずいぶん遠くから来てくださって―」と、BLUEらすかるのナンバーを見てくださってか、声をかけてくれる。
 店舗も設備も新しくなったためか、蕎麦はちょっとあか抜けているような気がする。
 
 
 
 片道600キロなどどうってことは無いが、往復は厭だ(とか言いながら、みちのく漂流は1000キロ越えの日帰りをやっているのだが)という理屈をこねて、この日の宿泊は杉野沢の定宿に落ち着く。理屈というより、居心地の良さと食事の豪勢さと、二十年近くになる交流を途絶えさせたくないのである。
 例によって我々夫婦の貸し切りであった。
 コロナ禍の影響は、かきいれ時であるはずのスキーシーズンでさえ八割減だという。
 だから、「空飛ブウサギ」の館内設備投資もコロナ対策に余念がない。お隣のペンションは閉鎖となり、オーナーが変わるという話だ。この時期、妙高小谷線はまだ冬季閉鎖なので笹ヶ峰方面へは向かわなかったが、なんとかしてつくばーどの行事を復旧させたい。
 片道600キロ、杉野沢まで300キロと迷走の勝山、富山を加算して約1000キロ。どうってことないと言いながら、この夜は大いびきで爆睡してた。と、家内が言っている。

 
 妙高高原との縁は、2001年の「たちばなのとん汁ツーリング」に始まり、当時は日帰りでこれをやっていた。空飛ぶウサギは2004年から定宿としている。
 あの頃小さかった娘さんが立派になっている分、我々が歳をとった。たちばなのとん汁定食が、大盛りなど恐ろしくて注文できない。
 ここ数年は、とんそばで分量を押さえている。
 メディアによって有名店となったここも、少しマウント気味の感があるが、ウサギ、林道とともにこの軸を外せないのが妙高高原でのつくばーどだ。
 帰宅してしばらくしてからだが、集合場所に活用している道の駅あらい(なんと国道反対側に拡張施設がオープンしていたよ)が、災害対策拠点の指定を受けた。全国1600の道の駅のうち、500軒が災害対応型指定を取得しているが、その中から特別拠点39軒が認定され、その中の一つにあたる。
 豪雪地であり土石流の災害多発地であり、火山もある。
 ただ人気の便利施設には収まらない期待が寄せられているようだ。