学位はやるからさっさと郷里へ帰れ。

 という認定を受け、霰は4年間通った新潟大学をひとまず卒業することができた。
 この間住まいとなっていた新潟市内のアパートを引き払うにあたって、ネックとなったのが引っ越し費用。
 3月末だと諭吉さん30人力という売り手市場なのである。
 そのため霰は、諭吉さんが9人で済む3月上旬、卒業認定が出る前に大方の荷物と家財道具を搬出し、実家に避難したり卒業旅行に出たりで、ラスト1週間のみ布団とパソコンだけでサバイバルするという二重三重の博打を打っていた。
 まったく、卒業できなかったらどうするつもりだったのか。
 と苦言を言う以前に、アパート自体は3月28日で契約が切れるからどのみち留年したら路頭に迷うこと確定でもあった。
 いやー、案外心臓の強い娘である。
 そうこうしながら卒業式翌日、最後に残った荷物ごと霰を回収するため、久しぶりに仙台から新潟へ向かう。
 友人がもらってくれるというので自転車を友人宅まで運び、家内も含め3人乗車を確保した状態で残りの荷物を押し込み、アパートを退去。
 週末の予定に時間を割いてくれたおいたマンさんと、ふっじいさんご家族がアパート近くのファミリーレストランまで見送りに来てくれて、らいとにんぐなつくばーどが成立する。
 おいたマンさんもかつて、甥っ子さんの転居で新潟と埼玉を3往復、TD94Wで荷物搬送したという。
 ふっじいさんのところは、双子ちゃんがこの春、小学校に入学だそうだ。
 月日はたゆまず流れ続ける。
 2004年に初めて長岡を訪ねたときの霰のことを、双子ちゃんたちの姿にオーバーラップさせてしまう。