土浦には明治2年創業の天ぷら屋がある。
 ならば天丼を食いに行こう。
 それ以外に何も考えていない相変わらずの幕開けである。

 ほたて食堂での昼食は、10月に行われたBレイドで予定されていたが、まさかの前半遅延で実現しなかった。
 そのとき素通りしながら、天ぷらを揚げる菜種油の香りが出走者の鼻をくすぐっていた。
 土浦で開いたつくばーどは、前回は町おこしに扱われているカレーライスを軸にしたが、このような経緯で今回は超老舗の天丼をめぐる企画となったのである。
 Bレイドには参加できなかった和邇さんご家族、レイドで素通りを余儀なくされた新月さんと風花さん、クロさんがこれに臨んだ。途中、近所で事務所を開いているitoさんも顔を出してくれて、59万キロに達したというエスクードを拝見した。


 ビジュアルにはないが、一同は食堂の開店前に近くの喫茶店で集合した。レンガ造りの蔵を改装した店舗で、この蔵も明治22年から土浦の街に佇んでいる。この界隈は、90年代からシャッター街化し再構築を図る土浦のなかでも、老舗ばかりが変わらぬ勝気さで操業している。
 食堂では天ぷら定食と天丼とに注文が分かれた。土浦の名産でもあるワカサギは定食の方についてくる。天丼は海老よりもホタテの貝柱をふんだんに使ったかき揚げの方が有名。どちらの注文にもついてくるアラ汁は、味こそ少しずつアレンジされているものの、基礎は創業時から作り方を踏襲している。天丼のたれの味も昔ながらだ。
 来客は正午を待たずに店内を満席にしてしまう。しかしそう簡単に平らげることもできない盛り立てである。本来なら食堂の後に喫茶店だと思うが、おそらくその喫茶店が、名物の水出しコーヒーとツェッペリンカレー目当ての客で埋まっているだろう。


 土浦の特産品にはもうひとつ、蓮根がある。
 この蓮根を素材の一部に使ったサブレが、クロさんは好物だとかで、これを販売している店舗に案内する。和邇お嬢(妹)のハスラーにはその個体を入手した街にちなんで「蓮田さん」と命名されており、彼女はレンコンデザインのストラップを買い求めた。
 この時期、つくばーどは津久井浜でのみかん狩りを開いてきたが、昨年のイベントで参加者による枝折り事件があったため、ことしは開催できなくなった。和邇さんはせめて本日の参加者のためにと、津久井浜のみかんを箱いっぱいに持ってきてくれた。
 代わりに干し芋を所望しているとのことで、土浦近郊で販売しているところへ案内する途中、エスクード組と蓮田さんがはぐれてしまう。

 
 とりあえず連絡を取り手近のスーパーマーケットで食材を買い出ししながら和邇家を待っていると、妙なワンボックスを発見。
 よくよく見たら店舗開店セールを支援するため、筑波研究学園都市からイバライガーファミリーが撮影会に訪れていたのであった。
 ファミリーだけに大人なイバライガーだけでなく子供のイバライガーも存在するのだが、まあ当然なんだけれど、スーツアクターは小学生がやっていた。しかしどれが何のイバライガーか、実は見物していてよくわかっていない我々。
 さてこんなんで「土浦V」につなげられるのか?
 あの界隈にはまだ超老舗の蕎麦屋だとか、超盛りの良い定食屋だとか、とりあえずもう少し引っ張れる素材がある。
 次回はそれらを訪ねることとしよう。