そして月は満ちる
 月が満ちてくると、不思議なことが起こる。
 8月14日。6年前のこの日、先代のとるねーどらすかるは、自己記録として残る43万キロを刻んだ。その3日後、月軌道から帰還途上でロストすることになるのだが、そこから約1カ月弱のブランクを経て、BLUEらすかるが二番機として走り出した。
 そのエピソードはすでに過去のものだが、これをカナダで語り継ぎ、その後帰国して自らエスクードに乗り始めた人が存在した。
 MAROさんは、今ではエスクード仲間の一人だが、彼がらすかる交代劇の何に感銘し、海の向こうで友人知人にそのことを語り継ぎ、帰国の途に就いたかは、当時は全く知らなかった。
 彼について教えてくれたのは、フジ・オートの渡辺代表であった。2008年のことだ。
 「あなたのエスクードを意識して、うちで扱っていたТD51Wをお求め下さったお客さんがいますよ」
 そして実際に、MAROさんから連絡をいただき、交流が始まった。カナダではご両親が、ТD62Wにあたるグランドビターラに乗っていたそうで、MAROさんご自身は帰国後に、93年式ТD01Wに乗り始め、2007年に現在のТD51Wに乗り換え、01Wはやはり帰国したご両親が乗り継いできた。
 2011年、この01Wが退役することになり、手に入れたのがТD61W。つまりBLUEらすかるの同型車となった。

 「古い車にはなりましたけど、ご存じのように頑丈で、コンパクトと言っても決して窮屈ではなく、センスの良いデザイン。両親も気に入っていたし、このV6はカナダで乗った懐かしい音がすると喜んでいます」

 なんという嬉しい言葉だろうか。
 BLUEらすかる以前にも、61Wのユーザーさんには何人かお目にかかったことがあり、今でも同型車に乗る人々の存在を知ってはいるが、BLUEらすかるを走らせてから今日まで、同型車そのものと並んだことはあったが、一緒に出かけ走ったことはなかった。
 その邂逅を、8月14日という日に、MAROさんが運んできてくれることになろうとは、思いもよらない出来事だった。
 銀色のエスクードは、同型車だというのに32000キロ程度という距離も相まって、信じられないような若々しさを保っている。元気に走り出してくれたことに、引き合わせていただけたことに感謝したい。
 そして東の空に、満月が昇ってくる。