2021年3月、親父が逝去した。
 野辺送りは当人の遺言に従い、コロナ禍の情勢もあり外には一切知らせず家族葬で執り行ったのだが、山形県の造酒屋から、毎年、中元と歳暮が送られてくる。
 この8代目当主・和田多門さんと親父がどのような交流をしていたかは定かでなく、多門さんに至っては親父を「先生」と呼んでくださる。
 ひとまず親父の件の報告と御礼をしに行かなくてはならないと思い、コロナの時勢に訪ねることをお許し願い、河北町へと走った。


 和田酒造は寛政9年(1797年)の創業という老舗だ。しかし我が家との交流はその歴史には見当たらないので、親父が何かの機会でここを訪問し、なにかしら講釈をぶったのだと想像する。
 おそらくは親父の専門分野である熱供給やボイラーの技術論だと思われるが、多門さんに伺ったところ、奥方のいとこにあたる人が・・・この人は僕の知人でもあるのだが、和田酒造に連れて行ってくださったようだ。
 多門さんご夫妻は気さくな方々で、ただそれだけの接点でしかない僕ら夫婦をも快く出迎えてくださり、1時間ほど談笑させていただいた。

 
 河北町を離れ、山形市へ向かう道案内は、東北時代に交流を始めた仕事関係の知人、乙さんと、山形と言えば古参のエスクード乗りであるしろくまさんにお願いした。
 といっても、事前にメールのやり取りで、昼食の候補、見学のおすすめといったスポットをリモートで紹介していただく形式だ。
 山形市内ならばいくつかは知っている店舗もあるが、それらをはずして、お二人の勧めてくれるところを訪ねる。しろくまさんには河北町の紅花資料館を勧めてもらっている。山形市内は、乙さんんガイドの定食屋と和菓子屋を選択した。
 定食屋のフライ盛り合わせは定番らしい。家内は山形牛のステーキを注文したが、山形牛というブランドは意外に高品質で安価だ。
 和菓子屋はどら焼きの専門店でカフェ併設。湿度は低かったが気温は上がった日で、ことし最初のかき氷をすする。


 山形市へ来て、県立博物館は素通りできない。「縄文の女神」と呼ばれる、国内出土の土偶の中でもひと際モダンな国宝が、レプリカではなく実物を展示しており、しかもフラッシュを使わない条件下でなら撮影自由なのだ。
 女神のデザインはざっと4500年ほど前のもの。なんとも美しい。そういえば、間違われがちだが信州出土の土偶で「縄文のビーナス」というのもある。そちらは放漫な肉体美で、全く別物の造形。なぜここでそれを思い出したかと言えば、和田多門さんの先祖にあたる一族は、そのあたりの出自で日本海側に出て北上してきたというお話だった。
 昨年の「みちのく漂流」に比べれば、体力の消耗はずっと少ない。しかし各地のコロナ禍非常事態体制によって高速道路の週末割引が無いというのは、困った話だ。