急遽、山形県と宮城県の数か所に出向くこととなった。東北時代の名残で白羽の矢が刺さってしまったのである。名残といえども相手方は親切にアポ取りに応じてくれて、すべて連休明けの火曜日にまとめることができた。

 つまり、月曜日のうちに山形県入りしておけば翌日が楽。月曜日は秋分の日で休日。出かけたい放題。どうせ自腹だ文句は言わせない。
 しかし台風崩れの低気圧が能登半島から新潟を経て山形県の日本海側にも影響を与えていた。後で聞いたら山形市内もけっこうな雨降りだったらしい。それでは鶴岡や酒田は諦めるしかなく、米沢から国道13号を北上というルートを選ぶ。
 その前に、特に意味はないが東北道の安達太良SAにて蕎麦を頼む際、ネギ抜きと共にかき揚げも別皿によけてもらった。単にかけ蕎麦の画を撮りたかったのだ。高速道路だと、なかなかかけだけの蕎麦は見つからない。
 米沢に到着するとコーヒーを飲みたくなり、ろくに看板も見ずに駐車スペースがあるというだけで入ってしまったお店がフルーツショップのパーラーだった。
 ここで「朝パフェ」というパフェめぐり企画を発見。果物とヨーグルトのパフェ(なのかこれは?)とコーヒーをいただき、一軒目でボリュームのあるやつに当たったら、午前中縛りのパフェめぐりはもうリタイアするしかない自分に気づく。

 

 翌日の仕事では新庄まで走るが、初日は東根までで折り返す。東根にはよく昼飯を食いに入った食堂があり、6年ぶりに訪ねた。老夫婦の店主は二人ともお元気そうだ。昨今、山形に行ったらラーメンを食えと言われるようだがそこは蕎麦だろうと信念は曲げない。
 天童では土産に王将の人形焼きを買い求めに通った和菓子屋にも立ち寄る。ことし創業60年になる。店主はご高齢にもかかわらずしゃきっとしていて「何年ぶりかな。1個食べていきな」とおまけを出してくれる。
 ここから蔵王温泉を目指して、わりとのんびりの月曜が終わる。宿に到着したところでBLUEらすかるの積算走行距離が934000キロを刻んだ。
 宿泊者用に源泉かけ流しの貸切露天風呂もある宿は、実は内湯から移動する大露天風呂もあり、こちらは夜には混浴となる。が、他の客はみな家族連れ・・・って何を考えてるんだ状態で貸切露天でくつろぐ。夕食は山形牛をメインに芋煮やら天ぷらやら刺身やらのささやかで贅沢な時間。
 お解りのことと思うが朝から食いすぎ。部屋に戻って布団に入って目をつむって再び開けたら朝になっていた。

 

 仕事の話を書いても面白いわけがないのですべて割愛。
 宿を発つとき、屋外設備を設営していたスタッフの人から声をかけられた。
 初代モデルを見かけることが無くなっていたところに、ネット上ではよく知っているエスクードが現れ驚かれたそうだ。
 この人はジムニー乗りだった。裏手に停めてあるJA11も年季が入っている。真冬は除雪前の道を麓から登ってくるという。宿はゲレンデの中にあり、積雪は軽く3mとなる。が、昨シーズンは雪不足で大変だったとか。
 下山して一旦新庄へ向かい、再び山形市内に戻って午前中の予定を消化。このまま蔵王越えをするので米沢で牛だとか喜多方で志那そばだとかは望めない。
 ただし蛇の道は蛇。山への登り口にある店舗内に米沢牛のステーキ丼をやっている店がある。以前よりも値上がりしていたがこれを買いもとめテイクアウトで引き返そうとすると、別の店がイートインを始めていた。こちらは山形牛と山形豚を販売している。家族への土産に冷凍もののしぐれ煮を買い足した。

 

 残念ながら今年はまだ紅葉が見られない。気温はお釜の辺りで9℃まで下がったが、ふもとの晴れと違って雲の中だ。長居もできないのでとぼとぼと遠刈田温泉まで宮城側を下る。下りきっても14℃という涼しさだ。1週間あとならば広葉樹も色づいているかもしれない。
 村田での仕事に少々時間を費やした。一気に南下したいのだが、脳裏に喜多方ラーメンが湧いて出てくる。
 背に腹は代えられないが腹もまたごまかしがきかない。インチキだと言われようが喜多方ラーメンが食えればいいのだ。という欲に駆られて東北道の国見SAまで走る。ここと一つ先の吾妻PAで、それぞれ異なる店が喜多方ラーメンをやっている。国見は施設がリニューアルされてから初めて立ち寄る。店舗が変わったのか、回収前のレストランではなくフードコート化されていたが、喜多方ラーメンは続けられていた。大忙しでこれをたいらげ、一路ひたちなかを目指して帰路につく。

 

 知人のアーティストが、ひたちなかのサザコーヒー本店ギャラリーで個展を開いている。24日が初日だったので、王将人形焼を差し入れに立ち寄るつもりだった。
 さて15時すぎだ。ギャラリーは3時間後にクローズする。ラーメンなど食っている場合ではなかったのだ。それでも連休明けのこの時間帯、交通量は少なく、丁度良いペースのトラックに追随して淡々と走る。
 問題は常磐道を降りてからの帰宅時間混雑だったが、どうにかクローズ少し前に辿り着くことができた。彼女の絵が少しずつ変わってきている。攻めの迫力一辺倒だったものが、デザインも色彩もちょっと落ち着きを見せていた。
 去年の夏に会ったときには気づかなかったが、アシスタントしていた青年と夫婦になったそうで、来年の2月にはママになるという。それでの変化か。
 弾丸でもなく漂流でもない単独行は、1000キロには満たなかった。エアコンを必要としない長距離走行は、エンジンの調子をいい塩梅に整えた。