8月30日(土)
《 きたぞみちのくに 青森県萱の茶屋》


 八甲田の山並みを、いくつもの森を抜けて103号線を走る。
酸ケ湯を越え、昨日とは異なり、黒石方面ではなく、青森方面へと進む。ワインディングを駆け抜けて森を過ぎると、こんな景観を一体誰がどのようにして作り上げたのかと驚くほど、美しい高原が待ち受けていた。
「萱の茶屋には、ぜひ行ってらっしゃい。あなたはそのために青い森に来たのですから」
 白髪爺さんが、らすかると一緒に走りたいとまで言ってくださったその意味は、この場所を訪れて初めてわかる。
 なぜ、今まで、この高原のことを忘れていたのか?
 簡単なことだが、前回ここへ来たときは、濃い霧に覆われた景色を見ていたからだ。これほど広大で、空に手の届くような草原と、草原と森とをつなぐ樹木の「境界線のない境界」が横たわっていたとは、情けない話だが、当時はまったく見ることができずに知らぬままでいた。
 八甲田の山並みは、雪に閉ざされる厳冬期の過酷さを想像させぬほどおおらかだ。
 1902年に青森歩兵第5連隊第2大隊が、豪雪に阻まれて遭難した地点は、ここと田代湿原の中間に位置する。97年には、自衛隊の訓練中に、火山性ガスによる事故があった。そういった厳しさをも携える八甲田だが、この日の萱の茶屋の高原は、青森の短い夏を満喫させてくれる楽園であった。
8月31日(日) 《 またねみちのくに》

 「宮沢賢治って誰だ?」
と聞いてみたら、霰のやつめ
「あめにもまけず、かぜにもまけず。の人でしょう?」
げげっ、そこから来るか普通?
 NHK教育テレビの「日本語で遊ぼう」とかいう番組で、詩の中身はともかく詩を暗唱させてしまうコーナーがルーチンで流されているらしい。
だから賢治とは関係ないが霙でさえ、
「ぎおんしょうじゃのかねのこえー」
などと口にする。
これは問題だ。詩文は、かけ算の九九と同じ覚え方をするものではないだろう・・・

それはさておき、その霙を脅かしておいたのが
「山猫にたべられちゃうレストラン」
 『山猫軒』のことである。毬乃にも彩乃にも、事前に賢治の書いた「注文の多い料理店」のあらすじを聞かせてある。
食事に来たハンターの客に対して、「やたらと注文してくる変な料理店」の話だ。山猫が客を捕って食うため、客に対して注文するストーリィだが、霙は建物の中に入る直前まで、本気で怖がっていた。
トラウマを作ってしまっては失敗だが、こういう怖がる感性を養うのは大事なことなのだ。
「そんなの童話の話でしょ」
などと5歳児がシニカルに言ってのけたら、僕はとても哀しいのである。
 この『山猫軒』、しばらく来ないうちに本当に注文できる料理の数が多くなっていた。
 店の外では、建物を前に記念撮影する客が絶えない。
記念館周辺の至るところに、お店の案内看板が立てられているが、この看板に
「とびどうぐはもたずにおいで下さい」
と書いてあるところは笑える。

 宮沢賢治は農学者であり文学者であり、その基盤には自然科学者としての資質と、家庭環境から芽生えた宗教哲学が根ざしている。
 37歳という若さにして亡くなるまでの短い人生の中で、狂気のような才能を燃焼し尽くした賢治だが、その倍の人生を歩むことができていたら、あまりにも急速な宗教への傾倒は無かったかもしれない。
その宗教色だけは好きになれないのだが、科学者と文学者の側面には、なにかと惹かれる僕。
さて、子供たちは近未来において、自ら興味を示してここへ再びやってくるだろうか。
(宗教面でだけ行かれては困るのだが)