《つくばーど in 北海道》 | ||
2003年7月、関東地方の小学校が夏休みに入った。 しかし、目指す北海道では、夏休みは次の週まで始まらない。 日本列島の半分だけでも、こんなに大きく遠い。 そのことを知るための、子供たちとの冒険を始めた。 |
《7月18日(金) 船旅》 17日23:59発の苫小牧行きフェリーさんふらわぁみとは、想像していたよりも乗客は少なかった。 海も荒れていないため、船の揺れは最小限に抑えられている。夜便では景色もへったくれもないので、風呂に浸かってさっさと船室に戻り、だらだらやっているうちに寝てしまう。18日7:30に目が覚めると、船室備え付けのテレビが映しているナビゲーションでは、まだ気仙沼沖。デッキに上がって見物するモノは、船体と海しかないので、やることがないぞと思っていたら、ひと家族が記念写真を撮ろうとしていた。代わりにシャッターを切ってあげる。 この家族は、京都ナンバーのTD02W。偶然にも大洗の乗船時に、らすかるのすぐ後ろに駐車していたエスクードの家族。道東への旅行だという。ずいぶん遠くから自走してきましたねと聞いたら、現在は神奈川県の住まいだという。ご主人にとって、TD02Wは2台目のエスクードで、以前は93年式のTA01Wだったが、お子さんが生まれて現行型の5ドアに乗り換えたそうだ。 車両甲板は封鎖されているので、クルマ無しのクルマ談義。先方も乗船の際に、「おっエスクードのハードトップだ、懐かしい」と思ってくださったという。 18日19:45。苫小牧フェリー埠頭で釧路を目指すTD02Wのご家族と別れ、276号線を使って約100kmの足慣らし。北海道で最初の宿は、ユーノスロードスターと日産サファリに乗るhanapyさん宅。インターネットでの交流をしていた方で、5年生のお嬢さん、はなちゃんが、後日子供たちと遊んでくれることになっている。 ニセコアンヌプリと羊蹄山に抱かれた街は、もう眠りについていたが、初めてお会いするhanapyさんとクルマ談義・・・をせず、教職員の話題でしばし様々な情報交換をし、一宿一飯の恩義に預かる。 なんで僕が教職員の話題についていけるかは、門前の小僧というやつです。 |
||
《7月19日(土) つーるどほっかいどう》 19日06:30。hanapyさんと翌々日の再会を約束して、5号線を北上。余市経由で札樽自動車道に小樽から上がり、道央自動車道の夕張終点までショートカットする。 目的地は芦別市、15:00にたどり着くことにしている。 しかし夕張から237号線を使うのではなく、厚真・占冠・幾寅・富良野という林道走りつなぎのコースをとる。 にもかかわらず、余市で砂浜に乗り入れ可能だと知れば海岸に、小樽で運河と倉庫の位置関係を確かめるなどという道草を食っていて、小樽ICまでに早くも30分ロス。 仕方がないのである。全国的に雨天という天気情報の中で、朝から青空の日本海沿岸なのだから。 こういう予定にないことをやって楽しんでいると予定にないことは次々と舞い込んでくる。 |
|
《芦別の友人》 僕よりもふたつ年下の彼が経営するには、そのお店のたたずまいは、過ぎるほど古めかしい。 38号線からひとつ入った路地の、交差点の際に建つ建物の二階に、そのお店はある。店名の前に「喫茶・レストラン」と添え書きのように一言が入るところも、地方都市の喫茶店っぽいのだけれど、つまり喫茶店が用意している軽食のレベルより上のものを出しますよ。という意味合いもある。 こういうところ、高校生の頃に入り浸っていた、路地裏の喫茶店によく似ている。 ただ一点、お店のたたずまいとはめちゃくちゃにミスマッチなものが、ここにはある。 カウンター席に座って、ふと見上げた目の前の壁には、当たり前のように大きな食器棚が横たわっているのだけれど、その棚の中には必要最小限の食器しか入っておらず、ところせましと大小様々なヒーロー、 |
ロボット、スーパーメカニックなキャラクターフィギュアや超合金玩具が並べてあるのだ。 話に聞いていてもぎょっとするのだから、初めて訪れた人は引くか乗るかで戸惑わないはずはないだろう。それが彼の職場であり、趣味の秘密基地なのであった。 インターネットの世界はホームページがお互いの距離だけでなく、時間さえも一気に縮めてしまった。 しかしこのカウンターにやってくるまで、実際には1260kmを駆け抜けることとなった。 「嵐田さんは、熊のような人だと想像していましたが・・・これは当たりですね」 「僕は、失礼ながらもっと線の細い人かなと思ってましたよ」 彼は明るく大きな声で話し、沢山のものをふわっと包み込むような人物であった。 お店を開いたのは先代、彼自身も20代のときお店を引き継いだというから、現在の芦別ではかなりの老舗と言っていいだろう。 小柄な奥さん(これがまた美人なのだ)とのコンビネーションで、次々と入るオーダーをこなして、厨房とカウンターを行き来する。ひょっとすると、あと10年もすると、芦別には隠れたおもちゃ博物館ができあがってしまうかもしれない。彼自身はそのころ、立花藤兵衛みたいに、パイプを磨きながらカウンターで珈琲をいれいてるかもしれない。 立花藤兵衛が誰だか判らない人には陳謝申し上げます。 |