《改良型、改造サイクロンの登場経緯を推理する》
 改造サイクロン、改良型サイクロンとされる2代目マシンは、公式には旧型を文字通り改造した車両として認識されているが、どこをどう見ても同一の車体ではありえない。
 ここに整合性を導き出すとすれば、序盤においては諸説のように旧型を改良し、高速性能よりもオールラウンド性能を重視したものとして解釈し、つくばーどオリジナル説における「改良型」が誕生した。という軟着陸先をみている。
 ここからさらにつくばーどオリジナル説を唱える。つまり、改良型を必要としたのは、一文字隼人よりも先に、本郷猛自身がそれを痛感したという説だ。
 猛は、旧型を隼人に託してのスイス渡航であったため、自ら専用サイクロンを現地調達しなくてはならなかった。このとき、山岳地帯でショッカーを追跡、戦闘に至る経験から、旧型は性能面で猛のニーズに合わなくなっていたのだ。
 同時に、モトクロッサーである隼人が旧型を持て余すであろうことを察し、隼人に対しては立花藤兵衛を通して旧型の改造を依頼し急場をしのぎ、スイスにおいて改良型に相当する2代目サイクロンの開発を急いだ。
 これが世にいう改造サイクロンの登場を促し、猛自身が満足のいくテスト成果を打ち出し、立花へパーツなり設計データなりを送ったのだと思われる。
 時折、形状に差異の見られる改良型が確認されるのは、2代目が猛用、隼人用と存在し、それぞれが戦闘経験を踏まえて細部に手を加えた結果であろう。
 しかし疑問も残る。このモデルは初期のサイクロンが変形する前の常用型にも酷似している。常用型がベースであるなら、旧型と同一車体なのではないかという矛盾だ。サイクロンの出自にはまだ探究すべき余地がある。

※この説は公式設定ではありません。そういえば、帰国した猛が旧型に乗る場面もありますから、用途に応じて使い分け。といった考え方が、「桜島篇」以降はありなのかもしれません。