《羽ばたく鷹と紋章の矢》


 1977年度F1グランプリシーズンに登場した、フォーミュラマシン初の8輪車、トドロキスペシャル。
 タイレルの前4輪とフェラーリの後4輪という、当時の両チームの画期的なマシンレイアウトの双方を実用化した。70年代後半は、各チームが歴史に残る独創的なレースカーの開発に力を注いだ時代。そのなかでも他に類を見ないフレキシビリティさを持つマシンが、トドロキスペシャルである。

 日本の自動車メーカーとして、ホンダに次ぐF1参戦を果たしたカトリモータースは、同時期にWRCへのエントリーや、ホモロゲーションモデルでもある“国産スーパーカー”の開発など、精力的なモータースポーツ活動を展開していた。
 トドロキスペシャルは、その名の冠が表すように、チームドライバーの轟鷹也選手がプロジェクトに参加、開発とトライアルを担当し、77年第8戦kスペイングランプリにT−1モデルを登場させた。
 T−1は、前後各4輪という世界初のホイールレイアウトにより、フロント側ではエアロダイナミクスを追求し、リア側のトラクションを稼ぐことに成功した。また、タイヤ1本あたりのバーストリスクが分散され、ピットインの回数が半減したと言われる。
 しかしT−1は試作的な要素が強く、独創性は高かったものの、戦績はふるわなかった。リザルトをあげると、スペインGPリタイア、モナコGP決勝不出走、ドイツGP11位、オーストリアGP8位、オランダGPリタイアとなっている。
 77年シーズンは、やはり日本のマシンコンストラクター「チームサンダーボルト・エンジニアリング」が出走しており、上位争いは同チームのSVシリーズの活躍が目立ったシーズンでもあった。
   

 だが、轟選手もカトリチームも手をこまねいていたわけではない。レースごとに変化するコースレイアウトに、マシンのセッティングを基本設計レベルで変更できる、ユニットコンビネーションこそが、トドロキスペシャルの神髄なのである。
 フランス・ディジョンサーキット(当時)のトリッキーなアップダウンコースに対応するため、前後空力機構を変更したT−2が用意される。T−2は、ステアリングとスポイラーがリンクしており、ダウンヒルではステアリングを押し込むことで、フロントノーズのインテークを閉鎖、ノーズの浮き上がりを防ぐ。ヒルクライム区間ではステアリングを引き起こしてフロントの動作を解除し、同時にリアスポイラーを角度調整してダウンフォースを発生させるものであった。
 フランスGPでは3位をもぎ取り、初の表彰台にのぼる。これがトドロキスペシャルシリーズの最高位だといわれる。T−2は続くイギリスGPにも使用されるが、前述のチームSVEによる初のフロントロー独占というトピックが話題をさらい、同チーム内でのトップ争いの結果、1台がクラッシュ炎上、新鋭ペペ・ラセールがが初優勝する。トドロキスペシャルT−2は5位完走を果たしている。


 ここへきて、トドロキスペシャルのウイークポイントが顕著化する。後輪のダブル・トレッドレイアウトは、テクニカルサーキットやレインコンディションはともかく、高速走行には不利なのである。
 イタリアGP、モンツァのレースに備え、後輪を前後たて配列にアレンジしたT−3が完成する。リアトレッドはシングル縦配置となり、T−1よりも225mm狭められた。
 トドロキスペシャルT−3は、モンツァではリタイアしたが、待望の富士スピードウエイ・日本GPでは遂に優勝を果たす(ここで突然、チームSVEの存在は無かったことにする)
 T−3は78年シーズンにも活躍するが、時代はより高速・テクニカルなレースシーンを求め、F1を上回る国際規格、Fゼロへと移行していった。