東北暮らしの8年間が終了する。
 作戦室からの荷物搬出の折、福島県に立ち寄った。国見町で80年代からやっている店の欧風カレーを楽しみ、須賀川へ向かう。

 ことし、松明通りには大きな変化が訪れた。
 松明通りと言えば、我が家ではいくつかの記録を残しているので、以下にリンクを再掲する。

 2001年
 
 2006年

 2010年

 2012年

 知識で知っていた円谷英二と須賀川の縁を最初に見聞に出かけたのは、92年くらいの夏だったが、それはFIT構想という地域連携にからんだ仕事であった。
 その頃から、須賀川市の松明通りにはウルトラ怪獣たちが影絵のかたちで存在していた。
 当時、地元には円谷英二記念館を立てようという地域の活動があったが、実現に至らぬまま東日本大震災の痛手を受けた。
 その復興の一翼を担って建設された市民交流センター「tette」と、復興事業の一環において、影絵だけだったウルトラのキャラクターたちは立像に進化し、円谷英二ミュージアムも「tette」の最上階に開設され、1月10日にオープンした。
 かつて阿武隈川のほとりに「卵」が置かれていたゴジラも、その姿が初代モチーフで佇むこととなり、円谷英二特技監督という業績がそこに紹介されている。
 円谷英二がまだゴジラと巡り会う遥か昔、映画の世界とコンタクトするのは18歳のとき。1919年のこと。100年の帰還ともいうべき、2019年なのである。

 奇しくも2011年に東北に赴任した直後、自分自身も被災し、そこからの帰還が今月となった。
 これはちょっと半端な年月なので、2009年に知り合ったエスクードユーザー、今はОBとなりながらも交流の続いているチーズケーキ工房にも挨拶をしていく。