つくばーど採用歴代エスクード史 その2


 幻のクルマ 90年型TA01W/ゴールドウィン



94年夏 ヘリーハンセンの代走に活躍

センターウィッシュボーンのリアサスペンション。これこそ、エスクード初代モデルの最大の特徴でした。
 コイルスプリング、ストラット、リアアクスル、Aアームとトレーリングロッドで構成される、リジッドアクスルタイプは、リアサスとしての自由度が高く、オフロード基本性能にかかわっていきます。
 しかしセンターウィッシュボーンは、高速度のコーナリングで、横力を受けたアクスルがアンダーステアを回避するために“コーナーの外側”へ向く。
 この性格を熟知していなかったために、1型は、コーナリング限界が低く、あっという間にテールスライド状態を引き起こし、94年のある日、ヘリー・ハンセンは時速70kmくらいの速度からスピン、横倒しをやってしまいました。
 空色のクルマは結果的に、全治一ヶ月半の入院となり、その間の代走として借り受けてきたのが90年型のゴールドウィン・リミテッド。基本性能はまったく同じです。

 ゴールドウィンは、マリンスポーツバージョン(と言いいながら、マリンスポーツはなにひとつやっていなかった)のヘリー・ハンセン=夏に対して、ウインタースポーツ=冬の季節限定モデルとして、やはり89年から毎年リリースされていたものです。
 それにしても、黒とは思いきった色選択をするものです。その車体色に合わせての、白、銀、ピンクのグラフィックが絶妙のコーディネートで、ヘリー・ハンセンでは15インチスチールホイルにメッキ仕上げだったものが、16インチの専用デザインアルミホイールに換装されていました。

 90年に初のマイナーチェンジを行っているため、このハードトップは2型となり、リアサスの雰囲気はずっと落ち着いていました。
 G16AはOHCそのままながら、マルチポイントインジェクションを採用した16バルブエンジンとなり、ATもアイシン製の4速式に変更され、高速走行の負荷が軽減されています。


ヘリーハンセン退院時に

 90年のマイナーチェンジは、メーカー自ら「新エスクード」と唄うほどのアピールでした。コンバーチブルをベースに、後部をハードトップ化させたレジントップ(前席屋根だけをオープンに出来た)なども追加され、車種構成も広がりをみせまた。
 エンジンの改良は、マイナーチェンジの直後に更にラインナップされた、ロングホイルベースのノマドに対応したパワーアップと言えるでしょう。
 残念ながら、この時点では、重量が1.2t近くに増加したノマドには、このマイナーチェンジのエンジンは多少の非力さが残り、1型でトルクの太さを感じていたユーザーには、乗りやすいけれど高回転志向で、パワーが足りない。そんな印象もあったと思います。
 ただし、ショートホイルベースのハードトップやコンバーチブル、レジントップはその限りではなく、82から100馬力に上がったG16Aの良いところを、特にMT仕様では体感出来ました。
 もちろん、雪道や泥にはまると、1型の粘りのあるトルクが懐かしくもなるのですが、小型常用としての使い勝手は格段にレベルアップしたのです。
 ゴールドウィンの貸与を受けていたのは僅かな期間でしたが、この頃既に、つくばーど基地では、93年型のGリミテッド・ノマドが導入されていました。短い間でしたが、エスクードの主たる限定仕様がすべて、つくばーど基地の庭先に並んでいたことになります。
 ところで、ヘリー・ハンセンの入院は94年の夏の出来事で、このゴールドウィンでスキーやスノーアタックに出かける機会はありませんでした。
 つくづく、限定車のコンセプトを無視する不良ユーザーですね。