つくばーど採用歴代エスクード史 その4


 その名はらすかる 95年型TA11W



95年から導入、月を目指す

 89年型ヘリー・ハンセンは、95年10月に退役しました。創刊当時のFENEK誌がエスクード特集を組んだことがあり、そこに掲載された頃が、一番上り調子のクルマでした。
 しかし90年にノマドが追加されたときのように、エスクードには当時、信じて良いのかどうかよくわからないうわさも流れていて、その裏付けとなったのが、トヨタが94年春にリリースしたRAV−4でした。コンパクト、ライトクロカンという市場への、ツインカムにして2000ccの投入。そのこと自体は、個人的には問題にもしていなかったのですが、市場競争の世界はそうはいかない。
 ここに、エスクードにV型6気筒が用意されている。といううわさの根拠があり、そして同年初冬に、そのうわさは現実となって、11型シリーズが登場したのです。エスクードは遂に他車とのシェア争いに巻き込まれ、パワー競争に引きずられ始めます。それを好意的に解釈すれば、エスクードの底力を、他メーカーに認めさせたということになるのかもしれません。
 このとき、ヘリー・ハンセンは修復が完了し、再び走り出していた頃で、V6の登場には驚きながらも、視野に入るモノではありませんでした。だって、修復によってお金なんか無くなっちゃいましたから。
 ところが、横転の影響もあったのでしょうけれど、初代エスクードのウイークポイントの一つであった、リアハッチのずれによって、車内への雨水の侵入が始まりました。
 ヒンジの強度に対してドアパネルが重く、そこにスペアタイヤを背負わせているので、クロスカントリーをやらなくても、林道のダートを走り続けていることで、リアハッチが下方向にずれてしまい、ゴムパッキンをすりつぶして水が流れ込むのです。
 後部座席から貨物スペースにかけてのカーペット下に内張された吸音断熱材がたっぷりと水を吸ってしまい、カーペット下が浸水状態となってしまう。
 駆動系もエンジンも、まったく異常が無く、どうにかして直せればと一年間格闘を続けましたが、問題の解決には至らず、先のことも考え、乗り換えに踏み切りました。

 
 こうしてやってきたのが、95年型のカタログモデル。現在のらすかるです。



02年にあーまーど計画完成
 後にその名付け親となる長女の霰は、まだ家内のおなかの中にいました。
 このとき、さらに7年や8年先のことは、想像のしようがない。ノマドもあるわけだしと、ハードトップを選択してしまうところが今となってはミスなのですが、95年に入ると今度はフルモデルチェンジのうわさも流れ始めていました。
 普通のクルマに比べてモデルサイクルの長いことが、四駆の良いところでもありました。まさかね、V6が出て一年経っていないのだし、でもテンロクのとき8バルブから16バルブへの変更は3年目だった。などと思いながら、結局「子供が生まれたらそっちにお金をかけることになる」という判断で、購入。3倍のバルブ数、数字だけの単純比較をネットで言えば2台分という140馬力のエスクードは、ヘリー・ハンセンより20万円安かった。

 でもやっぱり読み違いをやりました。あと四ヶ月ほど待っていれば、このH20AというV6エンジンは、2型にマイナーチェンジされ、パワー・トルク・燃費のいずれもがリファインされたからです。
 V6の1型は意外にも、またしても、高回転まで回さないとパワー不足。という市場評価があったのです。これは、最も売れ筋であったTD11W、V6−2000ノマドへの評価だったのではないかと感じています。高回転といっても、4000回転も出ていれば高速道路は巡航速度以上の速度域となります。むしろ低速域でのトルクを立ち上げるために、回さないと使いにくい。しかしクロスカントリーなどでの、瞬時の高回転への立ち上がりが悪いということなのでしょう。
 96年2月のマイナーチェンジでは、数値的には140ps/6500rpm、 18.0kg‐m4500rpmの前期型 に対して、パワーで5ps、トルクで0 .7kg‐mほど上がっただけですが、各部のリセッティングによって、乗りやすさは格段に向上したようです。四ヶ月・・・待っていられなかったんですよねえ。
 一方、V6の1型は、1600ccでは5型にあたりますが、ATミッションを3型のノマドと比較すると、より滑らかな動作をするので、こうした低速域での走らせ方にはマッチしています。そしてその耐久性で言えば、04年2月時点で、まだ無故障。年数としては8年程度ですから故障することはないでしょうが、なにしろこの個体は、走行距離では35万キロを越えています。デフの方が30万キロ直前でで壊れたくらいですから、トルコン関係は頑丈と言えます。