つくばーど採用歴代エスクード史 その4の弐


 あーまーどからすとらいくへ。そして・・・



03年、すとらいくらすかるに

 この95年型TA11Wが、らすかると呼ばれていること、あーまーどやすとらいくといった「ばかかお前は」と言われそうな冠をつけているエピソードは、当サイトの別項で紹介していますので、いまさらだから割愛。元をただせば、95年時点でのカタログスペックです。
 その年、12月に長女が生まれるのを控えていたため、7年間乗り続けていたTA01Wヘリー・ハンセンの雨漏り対策に、どうけりを付けるかの葛藤がありました。12万キロ走ったヘリー・ハンセンは、自分自身でこうしたいという仕上がりを得ていたこともあり、手放す決意をするまでには人並みの悩みがあったわけです。
 95年初夏のヘリー・ハンセンと、同年10月のゴールドウィンを見送っているのも、それぞれの限定仕様が定番化して、特装品の割安さ以前に、この1台という際だちが少なくなっていたこともあるかもしれません(それぞれのリミテッドユーザーさん、ごめんなさい)
 「それならカタログモデルでいいや」と、ベーシックなところからスタートして、つくばーど仕様へ積み上げていこうと決め、ヘリー・ハンセンの「空色」から、新たに「真夜中の蒼、深海の碧」をイメージにしようとしました。そうなのです。このクルマのどこにも、「らすかる化」への布石は存在していなかったのです。

 当サイトを最初に立ち上げた頃、このエスクードの紹介について書いていたコメントがあります。実はヘリー・ハンセンの項で書いている空色の車の冒頭も、そのときのものです


 シャチが好きです。
 地球上にあって、あれほど機能美に優れた色と姿、そして高い知能を宿した生き物は、他に無いのではないか?
 あれこそ、地球の海が育んだ芸術であろうと思いを馳せながら、未だ、水族館に生きるそれしか目にしたことはありません。
 いつも思い浮かべる光景は、月光にきらめくダークブルーの海原と、月の輝きによって彩られるもう一つのダークブルーの夜空との間を、黒々とした鋭角的な背鰭が、シルエットとなってゆったりと進んでいく姿です。
 その、空と海が出逢う空間の、闇とは異なる色あいのダークブルーが、現在所有しているV6−2000ccのエスクードです。
 サイドパネルには、波しぶきのつもりで、見栄っ張りのグラフィックを描き、1号車のヘリー・ハンセンとのつながりを持とうと考えました。





さすがにこれは無いと思います。
 ウィスコンシン州のアライグマどころか、アラスカあたりのフィヨルドの海に棲む海洋哺乳類に憧れていたフシがあります。
 割とストイックだったのです。
 いやそれよりも、V6リーズのカタログモデルには、ボディ上半分のカラーリングが赤と緑と青のいずれかしか無かったのですが、それを言ってはみもふたもないので、一番無難な色を選んだということで(やっぱりみもふたもない)
 当時の感覚では、赤はコンバーチブル、緑はノマドという印象を抱いていました。するとハードトップには、自動的に青があてがわれる。たまたま、V6モデルに採用されたスキューバブルー・メタリックという色は、ヘリー・ハンセンにも採用された車体色でした。1号車からの引継ぎは、最初はその程度の納得で行われたのです。
 実際、99年春までは、前ページの上段の挿絵にあるようなフロントフェイスで走っていました。屋根上のキャリアさえ、付いていなかったのです。89年型のようなシルエットは、もう二度と無いのだということを自分自身に言い聞かせていました。
 「ただでさえ重いV6を積んでいるのだから、フロントにガードはいらないのだ」
 とか理屈をこねて、ね・・・
 ところが、メーリングリストへの参加を機に、仲間と過ごす。ミーティングに出かける。という行動半径の広がりを得ました。初参加のミーティングの翌週、魔法でもかかったかのように、ヘリー・ハンセンに載っていたモノと同じキャリアが取り付けられ、2000年以降の変貌は、めまぐるしい勢いとなっています。
 01年にあーまーど計画が具体的に動き出し、02年には不足していたアンダーガードが調達され、ヘリー・ハンセンのシルエットが復活。03年に、らすかる最大のウイークポイントである車外積載の補助要件を満たすPOD装備を可能とする、すとらいく計画の完成にまで至りました。
 これだけのクルマいじりは、とても一人では出来ないことでした。らすかるは、沢山の仲間たちに支えられて、初めて月を目指すことが可能となっています。
 次のステップは、どうなっていくのか? 描いたイメージは二つあります。そのうちの一つくらいは実現させたいのですが、二つめはどうなることやら。このような日々を過ごしているうちに、エスクードと関わって15年を越え、04年9月、月軌道への到達を果たしました。