つくばーど採用歴代エスクード史 その5の参


 先代同様エンジンにてこ入れ



2008年4月、不調を抱えつつ走る



 先代が経験した納品書5枚綴りのオーバーホールは、結果的には月軌道を折り返して約5万キロ弱地点でロストするまで、現役で走り続けました。そこまで費やした年月は、10年。奇しくも3代目エスクード登場の2005年でした。
 BLUEらすかるはその後を受け継いで、この個体としては9年目、8万キロ台から走り始め、おそらくそれまでの使い道とはだいぶ異なるペースで距離を伸ばしているはずです。
 つくばーど就航1年目で15万キロに到達しており、2年目に20万キロ到達というのは、端から見れば異様な距離でしょう。元の状態が惨憺たる個体であったため、定期点検と消耗品のメンテナンスはぬかりなく行ってきたつもりですが、この2年間にはフレーム先端部の腐蝕や排気系の全壊、点火系不調などが発生してきました。
 そして2008年春、22万キロに及んで慢性的なアイドリング不調と燃料系の故障、ヘッド周りの損耗が確認され、保有していたスペアのエンジンからセンサー、バルブ類などを移植しただけでは症状の回復には至らない、深刻な段階を迎えました。
 前回はオーバーホールという手法をとりましたが、既にメーカー在庫としてオーバーサイズのピストンも無い現在、部品を必要点数揃えていく手間暇が馬鹿にならない。
 しかし今回は、エンジン丸ごとリビルド品を手に入れられる時代へと変遷しています。ディーラーの整備士さんと相談を重ね、オーバーホールとして部品を交換するよりも、コアが中古品であっても全部品をばらして、交換部品と共に組み直したリビルドエンジンの方が、高精度であると判断。載せ替えが行われました。
 最初の点火系不調から数えると、延べ日数で約半年間、入庫していたことになります。計算上では約3万キロのロス。この期間中は01RぷらすBLUEが活躍し、B4Wらいのすの登場も果たすわけですが、なんといっても2008年という年回りが「エスクード誕生20周年」でもあったことが、諸々の忘れ得ぬ出来事の一コマに、BLUEらすかる不調・不在の日々も加わっていきました。
 実はこの年の7月に発売された、4×4マガジンに組まれたエスクード20周年企画内で、ユーザーさん達と共に映っているエスクードの中にいるBLUEらすかるは、一時退院させて工場から



2009年 あーまーどBLUEらすかるに

持ってきたものでした。つくばーどのイベントレポートをご覧いただければ解るのですが、5月の神栖から11月の妙高まで、4度のイベント中、BLUEらすかるが出ているのは7月の岩間だけなのです(7月はESCLEVの岩手もあるけど)
 かくしてエンジンを載せ替え、復帰に至ったのは忘年会の頃でしたが、そうまでしてでもエスクードに乗り続けていたいという思いは、この20周年に知り合い、出逢うことのできたたくさんのユーザーさんや、舌っ足らずな企画を支えてくださった大勢のエスクード仲間がいてくれてこその、持続の意志と言えるでしょう。1989年から99年までの、常に独りで走っていた時代とは、明らかに考えることが変化しました。
 明けて2009年。エスクードを素材としたコミュニティに、つくばーどを転換させて10年目が巡ってきました。
 古株のエスクード仲間達と知り合って、10年です。前述しましたように、エスクードに乗り始めて20年という歳月の中で、前半の10年とは大きく異なっている現在、やっぱり夏は続いていると実感します。
 右肩上がりの時代ではなくなり、むしろ80年に一度とも100年サイクルとも言われる景気低迷期、この手の車にいつまでも乗り続けることは、経済不振の片棒を担いでいるのか? はたまたエコロジー時流に背を向けているのか?
 僕は、否、と考えます。持続させることへの投資は0ではなく、持続させることによって個体資源を大事に活用していく。そして肥大化が始まった初代の後期といえども、まだこの車は慎ましい枠組みの中に収まっているのです。
 でも、そのようなことを考えながらも、堅苦しいところに留まっていては、楽しくも面白くもないでしょう。再び月軌道への孤独な旅から、多くのユーザーさんと目指していく火星軌道への旅まで、走り続けることでエスクードの愉快、痛快さは活きてくるのだと思います。
 街から野山へ、林道からオフロードコースへ。マルチパーパスな性能と、こんな車だからこそ得ることのできる面白さを、まだまだ探し続けていきたい。