つくばーど採用歴代エスクード史 その5の五 | |||
誕生25周年の様々な出来事 | |||
2013年、先代を凌駕する |
東日本大震災からちょうど2年目にあたる2013年3月11日、BLUEらすかるは先代とるねーどらすかるの刻んだ43万キロに達しました。 2度目の月到達からほぼ1年。年末にエンジントラブルを起こして雪の東北道で夜中に止まってしまったときには、いよいよダメかとも思いましたが、その故障修理から明けてすぐの出来事です。 そうして「3カ月遅れ」で始まった2013年は、エスクード誕生25年の年回りでもありました。 僕自身は、この車たちに乗り始めて24年にもなるわけで、その総走行距離に及んでは、11月末で125万キロ。いつの間にか月への往還を果たし、もういっぺん月まで走り、2度目の帰還コースを10万キロ弱進んでいることになります。 25周年は、なんとなくお祭りムードを醸成できた20周年のときに比べると、間が開いていなかったこともあり、いまひとつのトーンで流れていきましたが、自分で想像していたよりも多くの人たちが、同じ時間軸にとどまり、エスクードという四駆に親しんでくれていたことを実感しました。 |
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これは何よりも得難い至福の時間であったと思っています。 しかしながら、スズキからはiV‐4と名付けられた次世代クロスオーバーSUVがコンセプトモデルとして発表され、ある意味古き良き時代の四駆の片隅に引っかかりながらも、三代にわたってその骨格を貫いてきたエスクードに転換期をもたらしています。 かの新型は、コンセプトモデルを見た限りでは、エスクードの直系の後継モデルではなく、おそらく十中八九モノコックボディでScrossのプラットホームから派生したFFベースのフルタイム四駆。ハンガリーで生産され、ヨーロッパ市場に投入されるという世界戦略ぶり。二代目SX4と言われるScrossと同様の出自で、Scrossに遅れること1年、2015年のデビューと予告されています。 それほどに時代の趨勢は変化しているのですが、世の中にはまだまだたくさんの人々が初代に乗り続け、二代目にこだわりを持ち、三代目の行く末を案ずる日々を送っています。 |
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道はまだ彼方へ |
エスクードが世に出て以降ずっと、魅入られた人々を虜にする魅力が存在し、少なくとも僕にとってのそれは、 「かっこわるい」 宣言から始まった初代なのです。 25年前に 「こんなのだめじゃん。JA71を見ろよ、SJ30を上手にブラッシュアップしてるからこそ、ジムニーはいいんだ」 と言い切った僕にしては、その翌年から今まで、よくもこれだけの年月をエスクードだけ乗り続けているものだと思います。 それはなぜですか?と、ときどき尋ねられるようになりました。 例えば、履きやすくて使いやすい靴は、履きつぶしてしまった後もう一度、同じ銘柄のものを買って来るじゃありませんか。 エスクードはそういう車になりえたのです。 僕の中では。 ひょっとすると、エスクードの後継としてではなく、後続のモデルとして出てくる「かのクルマ」についても、別枠のジャンルとして受け入れていける何かを見つけることは可能なのでしょう。 それをするかどうかは、僕自身の好きずきですが、最近買ってきた靴もまた、いつもの同じ銘柄です。 2013年は、積算走行距離にすると47万キロ台に突入したところで、年末の多忙期を迎えています。ここまで走って、ようやく僕の運用で、BLUEらすかるとなってからのこのエスクードは、地球から月までの距離を走り抜けた勘定となります。 先代の到達点を乗り越え、未踏の領域を進んでいますが、ドライバーも齢をくってきました。 椎間板を患って3週間の入院と1週間のリハビリを余儀なくされました。 その同じ時期、クルマもまた車検前の段階整備でリアブレーキのライニング交換とドラム研磨を行い、次の段階では燃料タンク取り付け周辺部やバンパー内側、フレームの錆落としと腐食部の溶接補強、フロント駆動系の交換修理などで入庫という、時を無駄にしない律儀な待機状態でした。 次の車検、2015年。その年はTD61Wの型式として19年、2台めのらすかるとして10年という節目に差しかかっていきます。 |
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