つくばーど採用歴代エスクード史 その5の六 | |||
誕生25周年の様々な出来事 | |||
2014年、未知の領域へ |
サイトレポートにも書いていますが、2014年6月19日未明、母が急逝しました。野辺送りは身内と親しい友人のみで滞りなく済ませることができ、盆と近いから四十九日を行わず、三十五日の法要で供養をすることとなり、その日が7月20日と決められました。 この混乱で、八月に予定していた妙高高原でのミーティングを中止としたため、これをサポートしてくれている新潟在住の仲間たちに報告とお礼お詫びをしながら20日夜明けに帰省したところで、BLUEらすかるの積算走行距離は50万キロを刻みました。 この日は奇しくも、アポロ11号が人類初の月着陸を果たし日から45年目。おそらく、母の差し金であろうと思いますが、この年の2月に追突されており、ダメージが意外なほど深刻で、年内の予定が大幅に狂ってしまったことも重ねて考えると、まさしく塞翁が馬・・・と言っていいのかどうか。 とにもかくにも先代同様、七転八倒の旅路を続け、この距離を走りぬいているわけですが、エスクードの枠内においてはこの時点でもまだ歴代3位なのですから、世の中は広いのだと痛感します。 |
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BLUEらすかる、ТD61Wは1996年式。初代においてはモデル末期の個体です。18年も経過したらだれも見向きもしないであろう年式は、まるで人間に対する動物の加齢のような年月を経ているわけですが、機械的な経年劣化はともかく、経年のみで古臭いだとか時代遅れだとかの評を受ける自動車とは哀れなものだと感じます。 この個体に乗り始めてから9年、3代目エスクードですら後継モデルの発表によって現役末期に差しかかっています。流行なのか趨勢なのか、四輪駆動車という確たるジャンルにありながら、SUVやクロスオーバーといった余計なカテゴリーに翻弄され、そのあり方を無理やり変質させられるのが自動車販売。しかし四駆の世界にこの風潮を持ち込んだのも、他ならないエスクードでした。 そこを贔屓目に見た場合、この車は10年や20年では動じない素地を持っているとも言えます。 |
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そして次の夏へ |
なぜなら、周囲が追随し追い越して行ったときにこそ、流行り廃りで飽きられる有象無象とはちょっと異なる仕掛けが施されているから。 トラック然とした古い世代の四駆が淘汰され、わけのわからない曲線曲面で構成される、別に四駆でなくてもいいんじゃないかというご時世に、軟弱と言われ続けてきた初代の姿はようやく真価を発揮し始めたのです。 いやもちろんそれは極めて偏ったものの考え方です。 ただ、どんなに燃費向上や安全対策装備が進もうとも、燃費がいいから速度超過してぶっとばしても大丈夫。という扱いを受けるハイブリッドやEVならば、ここまでしかできないよという性能の上限を突きつけてくる車の方が、よほど人と寄り添っている。 初代エスクードとはそういったネガティブな部分をも好まれ、当時のコストパフォーマンスで言えばそこそこ高いレベルを実現していました。 いやいや、そんなの第三者には押しつけられない話ですけど。 機械や技術が進化するのは当然のことで、エスクードも様々なデバイスを搭載して高性能になっています。 そこは大いに歓迎すべき部分で、これが無ければ並み居るSUVと互角に渡り合えない。その3代目があるからこそ、初代は2代目を通じて礎という立ち位置を与えられているのです。 もしも次に来る後継モデルがエンジンレイアウトも駆動方式も一新していたとしても、進化が無ければ時代には受け入れられない。だから新生VITARAを否定してはいけない。問題は時代がそれを受け入れてくれるかどうかでしょう。 そんな世代交代の始まる中で、未だに初代に乗り続けている偏屈さは、もはや理屈ではありません。自分のライフスタイルとステージをここまで支えてくれる使いなじんだ道具を、いまさら他のモノに替えられるもんですか。 そんなわけで50万キロ台を走るさなか、ふと気が付けば、先代を「らすかる」と名付けた長女が高校を卒業して大学最初の夏休みですよ。19歳を前に免許を取得、若葉マークで運転を始めました。 いやいやいや、俺も齢をくったということじゃねーですよ。 こうして夏は過ぎて、次の夏へと向かっていくのです。 |
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