つくばーど採用歴代エスクード史 その5の七


 記録を塗り替える日



2016年、とうとうここまで来た



 既に四代目エスクードが登場して一年が巡ろうとしている2016年夏。「伝説のエスクードノマド」という言葉自体がユーザー間でも埋没してしまいました。
 587000キロ。それが、我々が聞き及んでいたエスクードの最長不倒距離です。しかしその個体を実際に知っていたのもたった一人の友人で、記録簿と証言でしか知りえなかった逸話でした。
 だから、その検証は自らやらねばならない。と、思い込んだのが運のつきというか、宿縁だったと思います。
 走り続けていればいつかはそこへたどり着ける。
 理屈ではありますが、生半可なことではそれは成しえない。いやというほどそれを味わうことになったのです。
 考えてみれば、地球から月までの距離を走り切ってから、この数字を刻むまでさらに200000キロを走らなくてはならないのです。これが走っても走っても近づいてこない。年間約40000キロをこなしているのに、です。
 
 小柄な車体に大排気量エンジンの組み合わせは、いつのまにか過去の遺物となったようです。同程度の重量で4気筒1600ccでありながら、はるか上に燃費をマークしている四代目エスクードは、6気筒2500のTD61Wとは真逆の性格。そしてここに至るまでにエンジンだけでもずいぶん派生したり主役交代したりしました。
 このことは、エスクードのブランドイメージからクロカン四駆というジャンルが消え去ったことにもつながります。エスクードレベルでは最低限であったはずのクロカン性能は、日常用途においてはオーバースペック、無用の長物となってしまったのです



夏への新しい扉も開く

 巷では他社のクロカン四駆も個体数を減らし、いつ頃からそうなったのか知りませんが、周囲を見渡せばミニバンだらけの路上と駐車場の風景。
 家族構成や乗り合い事情からみれば、3列シートやキャプテンシートは快適でしょう。ただ、少子化の時代、ミニバンの牙城もまたいつか別の流行にとって代わる日が来る。でもそれは僕の関心事ではなく、走っても走っても近づいてこない最長不倒距離との心理的な格闘と、当然のように消耗し故障を起こしては修理に臨む日々が続きました。
 ところがこの期に及んで、意外な評価を聞くことになります。
 曰く
 「初代エスクードはコンパクトで手ごろな本格的4輪駆動車だった」
 いまさら何を言ってくれちゃうのよとも感じましたが、半端でナンパなレッテルを貼られてきた初代が、現行モデルのようなSUVに併合された結果、質実剛健さが浮き彫りにされてきたようです。
 もちろん50対50の直結トルク配分という四輪駆動性能は、昨今のフルタイム四駆に比べたら旧世代もいいところですし、何処で使うんだとも揶揄されます。
 クロカン四駆とはいえ、クロカンのために作られたわけではないから、それを必要としない人々には宝の持ち腐れでしょう。だけど、奇しくもこの時期東北単身赴任で、赴任したとたんに東日本大震災で被災。そのあとの三陸沿岸被災地に分け入ったり、ところにより豪雪凍結の東北の山間部へ仕事に出るうえで、四駆であることの基本性能は季節を問わず役に立ってきました。
 そうこうしているうちに、霰に続いて次女の霙も運転免許を取得。10代の女の子が初代エスクードのステアリングを握るという、父親的には慶事もやってきました。
 その個体は、あくまでつくばーどのフォーマットとしてですが、世界最長距離を走り出すこととなるのです。