つくばーど採用歴代エスクード史 その6


 空が近いクルマ 91年型TA01R


06年初秋 納車直後、100kmを試走
 何から書き始めればいいのか、照れと戸惑いの感が無いわけではないのですが、それよりも開き直りと言うべきでしょうか。
 年老いてから乗りたいと思っていたのがコンバーチブル。でも最近、自分もけっこう、トシ食ってきたんじゃないのか? などと気弱に自覚と肯定をし始めていたところへ、突然、目の前に飛び込んできました。
 年式が年式ですから、車体の価格は破滅的な捨て値。車庫保管されていた素性か、車体の外装状態はBLUEらすかるよりもずっと良かった。77,000kmという走行距離も、前オーナーが手放した頃で計算すると、背負っているスペアタイヤと、履いている4本のタイヤの状態から、嘘ではないようです。
 幌のリア窓部分はほつれているものの、幌全体のテンションはしっかりとしています(ほつれは修繕済み)。オートマチックトランスミッションですが、個体が2型であるため、16バルブ化されたエンジンに合わせて、4速ATが搭載され、乗りやすくなっているモデルです。
 霞ヶ浦の左岸の小さなお店に、2年ほど保管されていたのですが、一時期はこのお店の前を通勤に使っていて、第4回目のブラインドレイドの際にも通過している場所だったというのに、この車体の存在にはまったく気がついていませんでした。
 まったく予測も何もなく、ある日突然、ここを通りかかったときに、このコンバーチブルの存在に気がついてしまった。だから身の危険を感じて(笑)、何度かは素通りしたのですが、つい立ち寄ってしまったのが運の尽きです。
 いや、この場合は運の付き。と当て字を使うべきか。
 0AAというカラーコードは、3型くらいまで存在したガンメタル風のブルーでしたが、あらためて調べてみると、何ともオーソドックスにダークブルーメタリックと呼ばれていました。つまり、またしても青系のエスクードになるのです。6台目の登録にして、5番目の青。BLUEらすかるのマイアミブルーメタリックに比べれば、季節はずれの海のような重い色彩ですが、こいつは幌をはずすことで、今までになかった空の近さを享受できます。
  


1年ぶりのショートボディは軽い
 青の系譜から、「ぷらすBLUE」と命名しました。
 フュージョンピアニストの村松健さんが、1984年にリリースしたセカンドアルバム「+BLUE」から持ってきたものです。
 このエスクードは「らすかる」には成り得ない。らすかるの名前は、TD61Wが受け継いでいます。ライフワークとして存在するのは、BLUEらすかるであって、コンバーチブルには長い年月を乗ることができない前提で手に入れています。その意味では、例のBLUEという符丁だけを名前に用いるのは、ちょっと不公平感が出るのも事実です。
 それでも、一度乗っておきたい衝動には抗えなかったのが本当のところです。言い訳のしようもありません。
 そんな割り切りから、終始ノーマルで乗ろうと考えていたのですが、納車前から沢山のエスクード仲間がパーツ類を提供してくださり、スチールホイールはアルミに、山の残り少なかったラジアルタイヤもATパターンに。ほころびていた幌パーツも新品に、エアフィルターからドアバイザーまでもが新品として調達されました。この場にて、あらためて御礼申し上げます。
 さて、ものの弾みで手に入れてしまったTA01Rは、AT仕様の分だけ重量増加していますが、ウエイトは1,040kg。2型同士で言うと、TA01Wの5速マニュアルミッションと同じ重量になります。1型のハードトップマニュアル車とコンバーチブルAT車は990kgでしたから、2型で既に肥大化が始まっていることがわかります。それでも、50kg(数字としては大きいですね)増量しても、1トンそこそこのレベルに収まっているので、その軽さは体感できます。
 エンジン自体には特筆すべきものはありませんが、当時としてはインジェクターのマルチポイント化、電子進角などを新規採用し、ようやく“人並み”の機構に追いついたというところでしょう。超長距離ツーリングには、2000cc以上のエスクードを経験した身には、42リットルの燃料タンクも意識しなくてはならず、いささかつらいものがありますが、近場へちょっと出かけていく上で、この軽さと直4のレスポンスは効果的です。しばし、コミューターとして活用していきますが、プラスα以上の楽しさを与えてくれそうです。