つくばーど採用歴代エスクード史 その6の弐


 ぷらすBLUE 1台で二度(以上)面白い


07年春 第2形態へ
 今さら何を言っているんだ? と言われそうな話ですが、コンバーチブルのエスクードは、合皮のレザートップを脱着することで、屋根付きから屋根無しへ変化します。ただそれだけの単純なギミックが、長いことハードトップやロングボディのエスクードばかり乗り継いできた自分にとって、あらためて新鮮さを感じさせます。
 Bピラーから後ろのパネル(幌)が、フェンダーより上から無くなってしまう。エスクードのカタチががらりと変わってしまうのです。
 コンバーチブルなのだから当たり前なのですが、自分でやってみると、これがことのほか面白くて、楽しい。
 16年前の車に、これほど「やられたー」と思わされるとは、考えていませんでした。正直なところ、もっと早く所有していれば良かったと、幾ばくかの後悔もよぎります。
 実は1989年のヘリーハンセンを購入する際、注文したのはコンバーチブルでしたが、当時つきあっていたディーラーでは在庫切れ以前に「仕入れ枠が決められていてハードトップしか入ってこない」と言われ、ものの数秒で計画破綻という経緯があります。
 もしかすると、あの当時すんなりとコンバーチブルのエスクードに乗っていたら、逆にエスクードをセカンドに置いてしまった、別の暮らしになっていたかもしれない。当時と現在を思い比べれば、最初の頓挫と回り道は、正解だったのでしょう。
 BLUEらすかるをメインとして運用しているため、ぷらすBLUEも事実上のセカンド。半年で1万キロも乗れていません。この半年間が冬場であったことも重なり、古くなって硬化と収縮の進んでいた幌を開けることにも躊躇していました。
 その分、冬の間はナビゲーションやETC、レカロシートの装備を行っており、ノーマル仕様で乗ろうという初期の考えは“ホラ吹き”になってしまいました。昨年夏に発掘したときを思うと、見違えるようですが、なんだか擦り傷は以前より増えているような気がします。足回りがノーマルのままなので、無茶な林道侵入は出来ないのですが、BLUEらすかるよりも気軽に乗り込んでしまえるのは、ショートボディならではです。これであと20mmもクリアランスが上がってくれれば、近場の林道はほぼ走破可能になります。 
  


形が変わる、それだけのことが楽しい
 ところで困ったことに、以前からエスクードの写真を撮っていて癖になっている、“後ろ姿ばっかり”のアングルに、拍車がかかってしまいました。
 特徴が際立つから、どうしてもフロントよりも撮影するポジションを後方にとってしまいます。考えてみれば、初期型のフロントは3度目であるものの、すっぴんなのは初めて。ヘリーハンセンではガードをつけていたし、ゴールドウインには補助灯がついていました。
 リアパネルのないぷらすBLUEは物理的にフロントヘビーなはずなのですが、このすっぴんのせいでか、リア側にどっしり感を漂わせています。なんだかんだ言っても、エスクードは後ろ姿がかっこいいという刷り込みが、自分の中に施されているようです。
 蛇足と余談ですが、ヘリーハンセンでやっていた仕様は、同じガードを取り付けた1型が『ゴジラVSメカゴジラ』の劇中車として、またコンバーチブルではやはり1型でうちのと同じ色が『機動刑事ジバン』に覆面パトカーとして登場しています。知人の目によると、幌を取り払ったエスクードのキャビンブロックは、「コンバットアーマーのダグラムみたいだ」などという言われ様です。いやその、世代だからわかっちゃいますが、そこまで行くのは勘弁してほしい・・・
 今後の可能性がゼロだとは思っていませんが、2007年5月現在、現行型ではジムニーでさえコンバーチブルが手に入りません。他社においても、新車で乗れるコンバーチブルの四駆は、ほぼ無くなっているようです。もちろんエスクードも例外ではなく、海外モデルの2代目コンバーチブルを持ってくるか、初代の中古車を探さなければ、「屋根取っ払っちゃえ」という醍醐味を味わえなくなっています。SUVというカテゴリーの四駆が、ユーティリティーの面で、より市場ニーズを受け止め、浸透してきたからかもしれません。それはたぶん、間違いではないと思います。
 けれども、下駄でもスニーカーでも良いけど、さくっと乗り出してしばらく帰ってこない。性能との相談次第で、案外冒険も出来て、まともに帰宅してこられる。そういった愉快さの部分は、底辺が拡大しているSUVであっても、ちょっと違うのです。快適さと性能ではだいぶ負けてますが、それを補ってなお、2台分以上面白いのです。