つくばーど採用歴代エスクード史 その6の四


 ドライバーも第二世代に


17年秋 最年少エスクード乗り
 つい更新をさぼっているうちに、前ページから12年が経過してしまいました。ひどいウラシマ効果です。
 この期間を大分すっ飛ばしますが、2017年秋、次女の霙が免許を取得しました。この頃長女の霰はまだ新潟大学在学中で日常生活には車は必要なかったのですが、霙は地元の茨城大学に通うこととなり、何に乗りたいかを聞いたら、
 「日産のフィガロでラピスグレーのやつ」
 などと想像の斜め上から袈裟ぎ切りを仕掛けてきたのです。
 「すぐにじゃなくて、自分のところにやってくる縁があればですよ。お父さんとぷらすBLUEみたいに」
 そのような泣かせることも言うのですが、フィガロの年式を考えたらぷらすBLUEと同じ91年もの。手に入れるのだったら今しかないだろうと・・・思ったけど教えなかった(なんて父親だ)

 一方で霙は、軽くコンパクトなテンロクエスクードの扱いやすさも、いろいろいじって女性では動かしにくくなっているBLUEらすかると比較して本質を理解しながら、
 「今まで乗っていたお母さんの好みでこんな足回りになっていると思うんだけど、こんなに硬いサスペンションはかえって車の寿命を縮めちゃうのでは?」
 と、若葉マークの取れないうちから言うわけです。
 もうこの有望株を手放すわけにはいかぬと、こちらから拝み倒してぷらすBLUEの管理代行に任命です。のちに霰にはハスラーを新車で買うこととなり、霙には申し訳ないことになってもいますが、2020年まで(後述)、彼女は世界最年少の初代エスクード乗りとしてステアリングを握ることとなります。
 若い女の子がエスクードの、しかもコンバーチブルを乗り回す21世紀。痛快なうえに、悔しいほど絵になることを痛感させられました。
  


25万キロ、まさか月まで行くのか?

 霙がコンバーチブルに乗り出すことを聞きつけたエスクード仲間たちは、最適な足回りとタイヤサイズに関してディスカッションののち、若干硬めのカヤバを使いながらもコイルの受け止め方で調整する方法を採用し、見事に彼女好みの足回りにアレンジを果たしました。
 ロングランの林道ツーリングにも連れて行ってくれるなど、もうすっかり人気者です。スーパースージーの二階堂裕さんに至っては、エスクード誕生30周年企画ページを同誌に設け、霙とぷらすBLUEを指名で取材に招いてくれたばかりか、普段はジムニーオンリーでしか開いていない(エスクードでやったら壊すから、などと失礼なことを言いやがります)初級以上のオフロードスクーリングを始めてしまう始末です。
 ぷらすBLUEはわずかに、足回りで車高を上げ、タイヤサイズを一回り大きくしています。ただしBLUEらすかる以上に「見た目ノーマル」を重視しているので、それを知らない二階堂さんも「彼女は筋がいいねえ」と褒めてしまう。
 そんな霙も無事に大学を卒業し、2020年から勤め人です。ところが何の因果か、配属先が通勤で往復100キロというありがたいのか迷惑なのかよくわからない事例通知。たちまち自宅と最寄り駅程度のコミューターが、4往復したら燃料切れ間近のヘビーユースとなりました。
 それでも老朽化した個所や故障を回復修理するなど、コンディションは上々です。

 この時を同じくして、福岡市のチームWESTWINでルーキードライバーが起用され、レジントップのトップを撤去したTA01Rでダートレースにデビューしました。彼、梅津智広君は18歳。霙の持っていた最年少記録は梅津くんの元へ移譲されています。