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つくばーど採用歴代エスクード史 その7 |
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それは珍事でありイレギュラー? |
よもや、まさかの霹靂
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つくばーど採用歴代エスクードの中には、そのときの主力車が修理によって稼働できない場合の代車が含まれています。1号車であったTA01W・89年型ヘリーハンセンの代走を努めた、TA01W・90年型ゴールドウインがそれでした。およそ14年前の夏のことでしたが、同じG16Aでも8バルブだったヘリーハンセンに対して、16バルブ化され、若干の高回転仕様にマイナーチェンジされたゴールドウインは、快適さが増量されていたものです。
2008年秋、それから数台を乗り継いだ現在の主力であるTD61Wが、遂にというか、早すぎるというかのエンジン寿命を迎え、所有していたスペアエンジンのH25Aからあらゆる補機類を移植しながらも復調できず、リビルドエンジンへの換装を決意するに至りました。
巷には20万キロを越えて現役で走っているエスクードは沢山存在するのですから、22万キロで力尽きたBLUEらすかるのV6−2500ccユニットは、酷使が過ぎたのかもしれません。もちろんメンテナンスは怠っていなかったつもりなのですよ。
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BLUEらすかるが5代目のつくばーど主力車として採用された頃、エスクードは3代目モデルへとスイッチされ、それまでの“四駆”というカテゴリーから“SUV”というジャンルへ進化し、ユーザー層の底辺拡大が始まっていました。全てのユーザーさんがそうだとは思いませんが、拡大した層には、これまでのエスクードファントは異なるとらえ方が生まれており、そこに意識せずにはいられない異質な何かを感じるようになったのは確かなことです。
逆の位相から見れば、3代目エスクードが登場して3年も経過している現在、初代モデルのアピールをし続けている側の方こそが、異端であることを否定できないのかもしれません。それでも、「世の中の変化の全てに迎合してまで、自らを変えなくてはならない必然などありはしない」という、ささやかな抵抗は、いましばらく続けていきたいのです。
だからこそ、BLUEらすかるの大修理を敢行し、ぷらすBLUEの2度目の車検も通した。そこに僕の本音があります。 |
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ここへきてBLUEらすかるの代走になるとは |
そうまで言い切ってしまいますので、「それではこの3.2XSはいったいどういう事だ!」と言われてしまうことからは、もう逃げも隠れも出来ないですね。
昔は長女を補助シート、次女をチャイルドシートに乗せても4人乗車は不可能ではなく、その後はTA11Wの後席をたたみ、長座布団を敷いて寝床にし、夜通し走って東北や信州、北陸のイベントツーリングに出かけていました。
当時ならば別に、ショートのエスクードでも不自由はなく、屋根上にポッドを載せてからは積載パッキングも楽になっておりました。
ことしから、後部座席乗員へのシートベルト着用が義務づけられ、荷室を寝床にすることは御法度となっています。BLUEらすかるではそこまでしなくとも、リクライニング可能な後部座席だけで、娘ら2人にはまだ居住性の余裕もあります。しかしそのBLUEらすかるが修理入庫のいま、家族を連れての遠出には、ぷらすBLUEはさすがに対応しきれなくなっているのです。
ここに、修理をお願いしているディーラーさんの計らいにて、歴代2度目のピンチランナーの登場となりました。試乗車として登録された折、一番乗りでこのXSを運転させてもらったのが7月のこと。それはあくまで短時間の試乗でした。よもやこのような形で3代目のステアリングを握ることになろうとは、自分自身でも思ってもみませんでした。
代走であっても、BLUEらすかるの代理を果たしてくれる以上、つくばーど歴代エスクードの1台として記録することは、当然の流れです。7代目の3代目、型を新しくしたV6。らすかるシリーズでもBLUEの称号でもなく、それでもやはりエスクードであることは間違いのない珍事です。
奇しくも、11月2日から3日にかけてのつくばーどin妙高Xにて、最初で最後のお披露目となります。BLUEらすかるの修理が明けるまで、短い期間の活躍に期待しています。
名前、つけた方が良いでしょうかねえ。 |
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