N V6車は3度目の出場の頃からですか。
O 2000ccのV6になってからは、デフケースが鋳物になって割れなくなった分、エンジンのパワーにミッションが耐えられなくなり、2速ギヤが破壊され、ミッションケースの底部に脱落してしまった。そのため、1速から3速というミッションで走ってました。
このときはスペアのミッションまでは持って行かなかったんですよ。次の回からスペアを用意して、ある程度のステージで交換しました。実は私のエスクードはエンジン換装エピソードよりも前に、ミッションの換装話があって、ハイラックスのマニュアルミッションを組み込むようになりました。それで2度走っています。
N エンジン換装は、エスクードファンには衝撃的な告白だったらしいですよ。
O 残念ながら総合力ではパワー不足でスピードが出ない。タイムアウトでリタイアになってしまうのです。それではかえってエスクードはだめだろうってことになる。それでエンジンを換えるわけですが、これはエントリーが改造車クラスでしたから問題ない。
一番相性の良かったのが、いすゞのビッグホーンに使われていた3200ccのガソリンエンジン。ランクル80やサファリ4000、篠塚氏のパジェロなどと一斉にスタートしたことがあって、走り出したら並ぶどころか先に出ていくくらい速かったですよ。
N いすゞや三菱のエンジンはどんな経緯で手に入れたのですか?
O いすゞのラリーチームの監督に「あのエンジンはそのままでは壊れるよ」と言われて、ノーマルユニットではなくハイチューン版を手配してもらうことが出来たんです。
とにかくあんまり速いもんで、ある日キャンプ地にゴールした後に、オフィシャルが再検査すると言い出す始末でした。
パジェロエボリューションの3500ccは、ラリー関係者に「いいよ」と勧められて載せたんですが、ユニット自体が重すぎて、あれを載せるだけのボディやパワーを受け止める足回り補強をすると車重も増えて、かえって燃料も食うんです。燃料タンクは450リットルにもかさんで、ボディ後ろ側は燃料とタイヤしか積めないくらいだった。
N スペインやフランスからもエスクードは出ていたけれど、プライベーターで9回走って、完走も果たした例は、尾上さんだけでしょう。
O パリ・ダカールは3年くらいの計画だったんですよ。ところが初出場から3年連続リタイアで、それじゃあ引っ込みが付かないじゃないですか。
それじゃ「5年やるぞ」と。4回目から完走できて、だんだん欲も出てきたですよね。その分クルマが重くなってデューンも上れなくて、無理がたたってクラッチを壊してしまった。フル装備で2.7tもありました。ビッグホーンのエンジンのときより1tも重かった。
N パリ・ダカールラリーのあと、アジアクロスカントリーラリーに転向しましたが、パリ・ダカール2度目のエスクードを改修して出場でしたね。
O 二階堂さん、アジアクロカンは経験者だったんだよね?
N 3回ほどオフィシャルとしてかかわり、車検長をやってました。尾上さんが出たのはV6だった。呼びつけられてまたナビゲーターをやりました。もうひとつのアジアンラリーというのがあって、これには3回出て、ボルネオラリーなどにもモンスタースズキスポーツ(当時)の田嶋伸博さんと一緒に走ったことがあります。
クロスカントリー系だとトランスアジアンに2回出場していますが、あのレースもどちらかというとタイム争いが主だったかなあ。これらのレース用に、うち(ワイルドグース)で作った車は直4の2000ccでした。
O アジアクロカンは面白いラリーだったけれど、川を渡らされたり泥んこになったり、道路よりも畑の中を走らされることの方が多かったね。
ウインチ標準などのレギュレーションはパリ・ダカール時にはなかった装備で、私は泥んこになるのが面倒だったので、川渡りや泥の時は二階堂さんに車外で作業をしてもらった。
N 川の中にゾウの糞なんかがあるんですよ。自分で踏みつけると、もう臭いが取れなくてクルマに戻ったら嫌な顔をされましたよ。
エスクードはシティユースのジャンルを取り入れて開発された四駆だけれど、駆動方式やラダーフレームはジムニーで培った技術を元にした、本物で作られています。2000kmや3000kmならば、壊れることはない。だからオーストラリアン・サファリやアジアクロスカントリーラリーの距離は十分に耐えられた。パリ・ダカールラリーの1万kmは、まあちょっと異常です。
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