2019年の開催後、コロナ禍の影響を受けて独りつくばーどでつないできた妙高高原の行事だったが、2024年はこの行事が始まって20年目にあたり、なんとしてもフル規格で復帰させたかった。
 フル規格というのは林道ツーリングと新井で名物のとん汁、そして定宿である空とブウサギの温かいもてなしなど盛りだくさんだ。
 20年も経過すると少しずつ、いろいろなものが変わっていく。それを承知で5年ぶりの開催だ。


 これは主催者の個人的な判断だ。最も変わってしまったものが、はるばると新井の街まで食いに来ていたとん汁に、温かみを感じなくなったことだ。繰り返して綴るがこちら側の勝手な思いであって、名物の名に陰りが現れたわけではない。しかし、売り手市場に迎合してまで付き合うほど人の良い客ばかりではないのだ。
 2年前から、新井の街で出迎えてくれる美味しいものは、クレープとガレットを作るカフェのお嬢さんたちが醸し出す親切さと優しさである。1年に一度しか顔を出していないほとんど一見の客を覚えていてくれるなど、嬉しくて仕方ないではないか。
 そんなわけで、今回のつくばーど®はこのお店から振り出した。
 もちろん行事のプログラムからとん汁を外しただけだ。参加者は「カフェnekoji」でのミーティングのあと、三々五々にいつもの店に並んでいく。主催者は・・・別の店のとん汁定食で仕切りを変えることとした。

   
 
 空とブウサギの故・内田オーナーとの出会いが20年前の夏のこと。当時、内田さんの車が1600ハードトップのエスクードだった。奇しくも5年前のつくばーど®in妙高高原16直前に亡くなられ、代替わりされたご子息が、宿のエスクードが無くなってももてなしのムードをきちんと受け継いでくれている。
 それと同じくらい、大勢の仲間たちが多忙の毎日をやりくりして参加してくれたり、地元の有志が近傍の林道情報確認のために試走もしてくれたり、主催者の手の届かない部分をサポートしてくれる。今回も仕事なとで来られないと言っていたにもかかわらず「何とか片付いたたので顔を出します」(きうさん)「うちのイベントが済んだので案内に来ました」(ふっじいさん)と、地元勢が手厚く助けてくれた。
 「とん汁をね、もう何年も食べに来ていないのよ!」(某ご夫妻)「クルマの足回りとタイヤを変えたので試走と偵察は面白かったですよ」(おいたマンさん)「せっかくの連休なんで二泊しちゃっていいですか?」(SIDEKICKさん)
 ありがたいの一言だ。ただし怖い落とし穴もある。
 今回、メンバーとして初参加はいなかったが、AMGさんがレストアしたランクル80で「初参加」、青影さんと通りすがりの正義の味方さんも同様に「乗り換えた自車で初参加」。さらに、うちの娘である霙までもが「クレープ美味しそうだから自走で行きます!」と自車初参加。
 これはまずい! 「初」が4つも付いたら雨降り確定ではないか! という初物と雨がかぶる魔のジンクスを警戒せざるを得ない。
 それでも、主催者と霙は「晴れ親子」の異名を持つ。こんなもの返り討ちにしてやると意地を見せたところ、初日の妙高市は真夏日寄りで青空と陽射しのコントラストがきついほど。
 「はやいとこ杉野沢に上がって涼みましょう!」

 

 みな20年分の齢をとった。毎回貸し切りであるのを良いことに夜中過ぎても続いていた宴会は、さすがに翌日に響くと意見が一致し、日付が変わったところでお開きに。
 2日目、曇天が雨雲を近づけているが林道に出ている間は降られずに済みそうだ。ふっじいさんとおいたマンさんが先導して、斑尾山側の林道に6台が分け入る。砂利のダートが土のダートに変わり、やがて多少の藪となる。全国的に大雨予報の週の境目だけに、林道を走る他車もハイカーもいない。他者に迷惑をかけずに安全に走れることは大事な要素だ。
 新潟県と長野県の県境を走りつないで、ふたたび新潟県側に降りてきて流れ解散を宣言するまで、雨の洗礼を受けずに済んだ。
 この間、前日開催の買い出しトライアルで買い出し課題を手に入れられなかったコムロ夫妻から「無事に買い出せました」と再トライアルの写真も送られてきた。
 その分、待ち焦がれていたように二泊目の夜は、杉野沢界隈も土砂降りとなった。二泊目は行事ではないので、久々のつくばーど®in妙高高原は成功裏にお開きすることができた。