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実際には、レストア済みのエスクードについては、2017年に完成したそれを保管倉庫で拝見している。その際レストアの内容についてもインタビューし、あらましは「エスクード誕生30周年企画」の中に収録済みだ。 そのきっかけとなった対談は、やはり「エスクード誕生25周年企画」に掲載してあり、この取材の頃にはコンバーチブルはアピオの敷地でツユクサに埋もれ朽ちかけていたのである。 尾上茂さんと言えば、押しも押されもしないスズキジムニーのマイスターだ。だが、我々はそのことを否定こそしないが、見方は少し違う。 世界のシゲル・オノウエ。このバリューは、1989年に初めて海外ラリーレイドに参戦し、クラス優勝を遂げたという実績に基づく。このラリーレイドがオーストラリアンサファリであり、走らせた車両がスズキエスクードなのだ。 こう扉を開けばお分かりかと思う。オーストラリアンサファリは総合6位にまで食い込み、その後は七転び八起きのパリ・ダカールラリーにエスクードを持ち込んでいる。 尾上さんは世界のラリーストとしては、エスクードで戦ったのだ。 |
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そんな話題を肴に、在りし日の姿を取り戻したエスクードを眺めながら世間話をするなんて、古参のエスクード乗りなら楽しいはず。と、このところ自身のエスクードコミュニティーを滞らせている狼駄さんを連れ出した。 尾上さんとは旧知の中である和邇さんにも声をかけたが、残念ながら和邇さんは直前になって仕事につかまり出られなくなった。それでも3人で談笑していると、どうもアピオに立ち寄ったらしい二階堂裕さんが通りかかり、「なにしてるのー?」と談話に加わる。 「ことしはアピオが創業50年だそうですけど、我々にとっては『オーストラリアンサファリクラス優勝30周年』なんです」 狼駄さんがにこにこしながら話を続ける。 この初参戦にナビゲーターとして参加した二階堂さんにも、7年前の対談から漏れていた逸話を発掘していただく。 尾上さんは当時をこう振り返る。 「なにしろ世界のレイドに対して無知だったね。ジムニーのリーフスプリングじゃ話にならないということは最初から分かっていてのエスクードだったけれど、ラリー車をどうやって作るか、そんなノウハウも無かったもの」 今だから言える話だが、それで出ていく尾上さんも、30年前のあのエスクードのエンジンで走らせた二階堂さんも怖いもの知らず。こと二階堂さんは初代エスクードの開発にかかわった人だ。 二階堂さんが切り返す。 「あれくらい走っても壊れないつもりで作った車だよ」 「うそ言え。ばらばらになりかけたじゃないか」 「でも、砂漠の過酷さは経験してませんが、雷蔵さんのエスクードなんか730000キロ越えてるよ」 「えっ、あなたいったいどこ走ってるのよ?」 だいたいこんな雰囲気だ。 細かい話はいずれ、スーパースージー誌上で紹介しようと思う。 |
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