厚木で“エスクードの父”とエスクード談義をしながら晩飯を平らげている頃、台風1号の余波と思われる雨が降り出した。そういえば2年前の今頃、ほぼ同じような行程で遠州を目指した日も、走っている間に大雨の域帯をくぐり抜けた。
 今回も、遠州にはエスクードを見物に行く。前回は、セキレイが雛をかえした町役場のエスクード。今回は、スズキ歴史館に展示されている、エルトンジョン・リミテッドモデル。ユニセフのチャリティ事業に関わるエルトンジョンにタイアップして97年にリリースされた、ドイツ・スズキの限定車だという。
 歴史館の開館より大幅に前倒しして浜松に到着し、勢いでそのまま遠州灘沿いを走り続ける。その先には半島と岬がある。どういうわけか、道の途切れるところまで走っていきたい性分が沸き立つのである。むろん、ただ行ってきただけではないのだけれど、そのお話はまた別のところで。

 スズキ歴史館を見学する。前評判で聞いていたよりも、中身の詰まった資料館だった。自らの知恵と技術をものづくりを通して世の中のために尽くそうとした創業者の心意気に、触れることができる。その鈴木式自動織機から100年目の現在、未曾有の不況にあえぐひとつの中小企業。しかしその歩みは開拓と挑戦と、貢献なのだという。
 モーターサイクルや自動車には、変革が求められている時代。おそらくスズキも、新たなスタートの100年目なのだろう。僕はあえて、エスクードという素材で立ち止まっているけれど、それはこの車に開拓と挑戦のテーマが宿っているからだ。今しばらくは、それを語り継いでいきたいのだ。
 たとえ舌っ足らずであっても。
 遠州にはBLUE−OTTERと呼ばれるエスクードがいる。通称、オッター君。TL52Wの2代目エスクードだ。この命名には、我が家のBLUEらすかるが少なからず関わっている。
 その存在を全く知らない頃、購入したエスクードに魂を吹き込むために、TAKA爺さんは、とるねーどらすかる、BLUEらすかるの数奇に満ちた(そうなのか?)宿縁に注目して下さった。2年前の遠州行きの際、初めてお目にかかっているが、そのときはこちらが幌車のぷらすBLUEであった。
 今回、浜松の街を案内していただくこととなり、BLUEらすかると対面の機会を差し上げることができた。
 日付と場所と相手が変わっても、やっぱりエスクード談義。飽きないのか? 飽きないのだ。この車を大事にし、けれども過保護にもしない、乗りこなして使い続けてくれる人々とは、いくら対話しても時間が足りない。誇張ではない。なぜなら出逢う人々が皆、それぞれの旅路とエピソードを持っているから。
 日没後、仕事を終えたSIDEKICKさんと、kawaさんが駆けつけてくれる。つい先週、恒例のみちのく荒行エクスプレスの帰り道に立ち寄ってくれたSIDEKICKさん。彼が北なら、長崎往復の超弾丸エクスプレスを走ってきたkawaさん。いずれも遠州のつわものエスクード乗りだ。
 さっそく、翌日の甲州行きの打ち合わせが始まる。ワインディングを楽しんで、富士の西側を巡るSIDEKICKさんに対して、東海環状から中央道まわりを提唱する、いかにも弾丸のkawaさん。ショートの直4とロングのV6らしいコース設定の面白さに耳を傾ける。
 天空には月が昇っている。明日、土曜日が満月。荒行や弾丸とは異なる、行きあたりばったりの力が覚醒していく。