霧の晴れた斑尾山中からは、雲海の底に隠れていた野尻湖が姿を見せ、針葉樹にも紅葉樹にも陽光が降り注ぎ、時間の経過と共に色彩が蘇っていく。
 昨年は、意気揚々と集結しながら、30分足らずで敗退した斑尾の林道。巨大な落石は撤去されていたが、先シーズンの豪雪や今シーズンの台風などによる倒木の状態をみると、昨年よりも影響が多かったようだ。
 それでも路傍の落葉をかき分けてみると、一緒に落ちてきた木の実からは、小さな発芽も見つけることが出来た。コーナーに現れ、ゆっくりと走り去る車たちが、その落葉を巻き上げ、木の実は新しい落葉に覆われていく。
 彼らは派手なコーナリングや挙動の変化を楽しむことはしない。もちろん、木の実の糧になるよう、落葉を道端に寄せていくという行為が意図して行われているわけでもない。ただそっと、自らが好きな風景の中に、同じように好いている1台の愛車を重ね合わせていきたい。
 そんなことを思い描くだけだ。
 深い轍や荒れた路面があれば、そのベクトルに会わせて楽しみ方は変わる。同じように、その日だけの紅葉に覆われた風景を眺めながら通り過ぎること。そのひとときに心がときめくのだ。
 今やCCVであってもSUVであってもユーザーニーズに多きな差異はなくなっているかもしれないが、
 「それでもね、エスクードでなければ、いやなんだよ」
 その一言だけは、彼らの共通の思い。それはもはや、理屈ではない

 3世代の進化には、その時代ごとのニーズが影を落とす。
 エスクードの場合は、作り手と使い手のニーズに奇妙なずれが生じているような気がする。
 その小さなずれを、僕らはこつこつと埋めていこうとする。
 それは形であり、色合いであり、使い勝手。
 「使い手の意志が車に乗り移ることで・・・」
 あるとき、エスクード乗りではない女性が、エスクードを眺めながらそんな一言をつぶやいた。
 勢揃いしている1台ずつを見ているうちに、なるほど、とあらためて彼女の言葉を思い返した。