 |
|
 |
 |
 |
先代、とるねーどらすかるが、当時未踏の43万キロを刻んだのが、2005年8月のこと。
このとき、BLUEらすかるとなる以前のこのTD61Wは既に8万キロと少しを走っていたが、休眠状態から覚醒させられたのが、翌9月であった。
その日から、8年目。スズキエスクードが誕生25年を迎える2013年、東日本大震災から2年を経過した3月11日未明、再びこの数字をオドメーターが読み取ることとなった。
奇しくも、月まで走れるかどうかを決意したとるねーどらすかるが、最初の壁を打ち破り20万キロに到達した場所から数百メートルの、定禅寺通りの路上であった。
あれからもう12年もの歳月が流れている。
ここから先に進んだエスクードは他にもいる。しかし自分自身の道のりで言えば、とるねーどらすかるではこの先300キロで止まってしまったことから、遂に未踏の域に踏み出すこととなる。
BLUEらすかるもまた、見た目ほどには健全な状態ではなく、まだ外科治療を施さねばならない箇所をいくつか抱えている。
それでも、行けるところまで行きたい。
もうすぐ春がやって来る。その次の夏は、いつもより熱い夏になりそうな予感がしている。 |
|