つくばーど採用歴代エスクード史 その5


 BLUEらすかる。空高く、4度目の青



05年9月、8万8千キロからスタート



 つくばーど採用、5代目の車が、エスクードになることは、誰も疑う余地はなかっただろうと思います。問題は、どのエスクードが選択されるのか。その一点に尽きるのだと・・・
 2005年9月5日、新しいエスクードがやってきました。
 TD61W。V型6気筒を搭載し、これを2500ccにボアアップした、初代モデルとしては最強(程度問題)のエスクードです。先代らすかると大きく変わった点と言えば、なんといっても5ドア化されたことと、走行中にFRモードと4WDモードを切り替えられる、ドライブセレクト4WDに進化したこと。外観は、このモデルと同時に主力商品となった直4−2000ccシリーズの51系に準拠しています。
 H25A型エンジンは、なるほどH20Aを「完成の域には至っていない」とSUZUKIの開発陣(当時)が言い切っただけのことがあり、ロングボディであることを意にも介さないトルクの太さと、遮音性を高めたボディに、進化の痕跡を見ることが出来ます。
 ラインアウト時点では、ノーマルスペックです。先代らすかるが楽々踏み越える轍を、こいつはまだフレームをこすりながらでないとクリアできません。
 それでも多くの人々のご支持をいただき、らすかる二番機の名を受け継ぎ、『BULUEらすかる』と呼称します。
 なぜBLUEらすかるなのか?
 この歴代エスクードの項をご覧いただけばわかるように、黒のゴールドウインを除けば、ヘリーハンセン、Gリミテッド、先代らすかるに続いて、4度目のBLUEとなります。ヘリーハンセンのインビエルノ・ブルーと、先代らすかるのスキューバ・ブルーの中間とも言うべき、今回のBLUEは、マイアミ・ブルーと呼ばれるメタリック。深海の蒼、真夜中の空から、再び快晴の大空と、それを映し出す海原の色に戻ってくることとなりました。
 そしてBLUEは、ある符丁でもあります。その綴りを、日本語キーボードで、「ひらがな打ち」すれば、その意味がわかります。
 4度目の青いボディ。離れられなかったエスクード。そして初代という個体。それらの全ての思い入れを、BLUEというキーワードは、いかにもつくばーど流に覆い隠しているのです。
 1996年型、初代モデル中では最終型のV6。H25Aそのものは、2代目のエスクードにも受け継がれていきますが、これが初代に搭載されているというところが、ひとつのエポックでしょう。



どんなふうに歩むか、ご支援のほどを。

 それは2代目のグランドエスクードへ、そして3代目のエスクードへと進化を辿る、コンパクトとミドルの岐路に立たされた、最初のトライアルだと感じます。TD11W/TD51Wのサイズでボディを共有しながら、3ナンバーという領域に踏み込んだ、苦悩の現れ。エスクードの歩みという視点で見れば、V6−2000ccをショートホイルベースの3ドアハードトップに押し込んでしまったのとは違った意味で、異端の存在かもしれません。
 心の奥底では、エスクードに15年以上乗り続け、未だ手にしていない本当の憧れが、1600シリーズに存在したコンバーチブルだと思い続けています。ライトウエイト、コンパクトサイズ、アクティブハンドリング、OHCながら小粋に回るエンジンとローレンジ4WD。コンバーチブルには、おそらく、エスクードの全てが詰め込まれているはず。
 これに対して、コンパクトサイズの限界に、2500ccという「とりあえず!」な小型車枠を脱するエンジンを搭載した61Wは、エスクードらしさを無くしていくぎりぎりの崖っぷちな、きわどい存在だと言えます。初代に限定して言うなら、コンバーチブルとは対極のところにあるのが、こいつなのです。
 それでも・・・
 これまた心のどこかで、一度こいつに触れておきたいという本音もあって、怖いモノ見たさにステアリングを握ってしまいました。結論を出すのが早すぎる? なにしろ、先代を失った12時間後に発掘されたのが、こいつです。いろいろな偶然が、こいつとの出逢いには、嘘くさいほどに重なっていたのです。

 5代目のエスクード、4代目の青。2代目のらすかる。だけどやっぱり初代のエスクードという、ややこしいやつです。
 2代目がいやだとか、3代目が好かないとか、そんなことは微塵も考えたことはありません。けれども、それらのエスクードが傍らにいる僕の姿を、おそらく誰もイメージできないのではないでしょうか。
 いろいろなファクターと偶然と、少しばかりの欲張りな想いが、こいつを引き合わせてくれたようです。
 どのような二番機のらすかるに成長していくのか、見守っていただければ幸いです。