つくばーど in 下北漂流紀行
本州最北端に速駈けして迷走
片道450kmのはずが、帰ってみると
1100kmって、どこをどう走ったやら
 青森県内で、エスクードを持ち込んでいなかった唯一のエリアが下北半島。もちろんそれ以外の車でなら行ったったことがあるけれど、もうずっと昔の話。しかしなかなかやる気が起きなかった。
 なぜというに、やはり生活拠点が仙台に移ってしまったからだ。一昨年のみちのく韋駄天は駆け足ながらやる気十分だったが、それでもまだ荒行エクスプレスよりも走る距離は短い。これにはとうていかなわない。
 そんなことを言うと「だったら知多半島まで走ってこい」と叱咤されそうなので(それは以前やったけどね)、棚上げする。
 が、機会というのは巡り巡ってくる。むつ市にある客先の出先事務所まで、書類を届ける必要が発生した。郵送では間に合わない。ならば相手が現場から戻って在所している土曜日の午後に持参するのが、ベストな判断。午前中に大間崎まで行ってこられる(はず・・・って、いいのかそういうスイッチの入れ方で)

 尻屋埼のゲートが開錠される30分前に、現地に到着。ここまでの5時間は解説しようにも書くことがない。ナビゲーション上の道のりは、仙台から八戸まわりで450kmだったが、これは尻屋埼は経由しない計算。概算で60kmほどの寄り道加算になるはず。しかも下北半島の太平洋沿岸は、前夜から濃霧。景色など見えない。
 だが尻屋埼なら快晴ではなく濃霧だろう。ここは海流の出会うところ、霧もまた風物なのだ。水平線はよそで見ればいい(負け惜しみにしか聞こえない)
 その霧の中を、仔馬を連れた寒立馬の群れがぽくりぽくりと歩いている。もとは岩手に生息していた南部馬を軍用に品種改良し、フランスのブルトン種と交配して作り出された野放し馬だそうだが、今や南部馬の血脈を持つ唯一の種だとか。
 観光客はいないが、地元の人々が海岸に降りて、漂着したごみを拾っている。馬も土地も国定公園であり天然記念物。霧の晴れる前にゲートを出る。

 太平洋沿岸から津軽海峡に沿って大間を目指すが、正津川の河口付近から川沿いに、内陸へと進路を変える。8kmちょっとの正津川林道で、恐山へ向かうためだ。
 全体的に道は締まったダートだが、森林地帯を抜けると落石と崩落のリスクもありそうなルート。6kmあたりから硫黄のにおいが強くなり、気温も上がる。地熱のためか、河川水の温度が高いためかはわからない。
 林道を抜けたところで、合流した主要地方道に、同郷ナンバーのミツオカZERО1が停まっていた。ドライバーが、こちらも同郷ナンバーだと気づき、声をかけてくれた。
 村田さんは還暦の一人旅で、昨夜は恐山に宿泊し、朝一番で大間崎まで行ってきたが、今日は津軽半島を走って、そのあとのことは考えていないという。
 「居所だけ家内に連絡入れてますが、あと何日かは青森と秋田にとどまっているんじゃないかな。えっ、V6なの? このエスクード!」
 ご自身の車のことだけでなく、こちらの車のことも話題にしてくれる。地元ではレガシィにも乗っているそうだが、ZERО1はNAロードスターのエンジンだったはず。黒石の白髪爺。さんを思い出す。
 それにしても、こんな邂逅があるとは思ってもみなかった。これが霊験あらたかというやつなのか?
 「変な話、こういうところで出会ったのも何かの縁です。帰郷した時には連絡してね」
 ここもむつ市だが、午後に会う客先よりも北にいる。ひょっとすると、これが本州最北端の名刺交換かもしれない。